北朝鮮の真実
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元公安幹部 菅沼光弘氏 緊急告白
金正男がなぜ無条件で釈放されたのか、教えてくれればいいけどなぁ・・・
この動画ではまったく触れていなかった。
でも、まったく知らなかった事実を教わり、世界の見方がまた変わった。
参考サイト
【 語り手:菅沼光弘氏 プロフィール 】
元公安調査庁調査第2部長1936年生まれ。
東京大学卒業後、公安調査庁入庁。すぐに、ドイツのマインツ大学に留学。
その後、対外情報活動部門を中心に、旧ソ連、北朝鮮、中国の情報取集に35年従事。対外情報の総責任者である調査第2部長を最後に退官。現在は、アジア社会経済開発協力会の会長としてご活躍中。
著書には、「この国の権力中枢を握るものは何か」、「日本を乏しめた戦後重大事件の裏側」、「世界経済の支配構造が崩壊する」など多数。
緊急WEBセミナー「日本人だけが知らない北朝鮮の真実」
日朝ピョンヤン宣言アメリカのケリーが核疑惑を言い出し、北朝鮮の核を非難 (動画ではプロパガンダと呼んでいる)
タイミングに注意 アメリカは自分たちの国益のために動く
なぜ北朝鮮の情報が入ってこないのか?
韓国に日本が援助
韓国が日本の経済圏に入り、欧米諸国が警戒しはじめた
日朝ピョンヤン宣言=韓国と同様に日本が援助する
北朝鮮も日本の経済圏に入ることを阻止
2005年
6カ国会議 共同声明 大変な文言
エネルギー、貿易及び投資の分野における経済の協力を推進する
北朝鮮との投資は自由
拉致問題があるので日本は制限
6カ国会議以外の国がどんどん投資し、会議参加国の中国まで投資しだした。
マカオのバンクオブデルタアジアに北朝鮮の秘密口座がありマネーロンダリングが行われている。
アメリカが発表し、口座を凍結。
911の後できた愛国者法によりテロ支援国家の資産を凍結できることになった。
アメリカが口座を凍結した後、北朝鮮はモスク経由でお金を取り戻した。
2006年9月7日
英国系の投資会社コウリョウアジアが北朝鮮のケドインクレジットバンクを買収。
2006年9月20日
北朝鮮の会社がロンドンで上場
一部終了
二部は現代の北朝鮮について
日本と北朝鮮が共同通信社を北朝鮮につくるも、日本人は常駐できないため、報道するのは北朝鮮側の情報だけ。
北朝鮮とスイス銀行とは深い関係がある。
スイスの資金で北朝鮮にスキー場が作られた。
名目上、スキー場をつくる目的でお金を流すことができる。
まとめ一部 0:29くらいから
ピョンヤンは今こまっていない
タクシーがたくさん走っている。服装もマンションもきれい。
このお金を誰が出しているか?
エジプトの資金で携帯電話も普及している。
日本の報道ではわからない。
パチンコ屋から北朝鮮へ言ったお金の実体は調べたけどつかめない。
パチンコ業界は独占が進んで弱小が潰れてきている。
日本の在日朝鮮人から北朝鮮へ行くお金がだいぶ減っている。
中東と北朝鮮の関係
北朝鮮のオリンピック委員は中東と人脈がある
中東の建設現場に北朝鮮労働者。
エジプトで北朝鮮のパイロットがイスラエルと闘い、お礼としてエジプトがスカッドCを北朝鮮に提供しミサイル開発が始まった。
北朝鮮と韓国のマーケット
まとめ二部 0:52くらいから
蒋介石に一番武器を提供したのはドイツ
ロシアとドイツ
ドイツの産業はロシアの資金で回復
メッサーシュミットはロシアで開発された
上海
蒋介石と日本軍が対戦し、日本が負けた。
ドイツの参謀、兵器が支援
蒋介石にドイツが武器を販売
南京大虐殺の報道はドイツの記者が言い始め
欧米の報道記事はドイツ語ばかり
ドイツの記者は蒋介石の広報担当
ドイツと日本は同盟国でありながら敵方に武器を売っていた。
マーケットを獲るという感覚
各国は、中国、朝鮮マーケットを狙っている
半日活動が活発なとき、メルケル大統領がドイツの有力企業の幹部を引き連れて訪問。
日中国交再開で、日本企業が進出して経済が発展
金融・・・経済の血液
軍事行動にはお金がいる
ゴールドマンサックスが中国へ進出
アメリカは日本の朝鮮政策を学んでいる
日韓併合条約書を持ち帰り研究
金融改革
・アメリカの要望
郵政改革
そして今、農協の預金と保険を狙っている
まとめ三部 1:25くらいから
渋沢栄一
ウィキペディア
江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。理化学研究所の創設者でもある。
帰国後は静岡に謹慎していた慶喜と面会し、静岡藩より出仕することを命ぜられるも慶喜より「これからはお前の道を行きなさい」との言葉を拝受し、フランスで学んだ株式会社制度を実践するため、及び新政府からの拝借金返済の為、明治2年(1869年)1月、静岡にて商法会所を設立するが、大隈重信に説得され、10月に大蔵省に入省する。大蔵官僚として民部省改正掛(当時、民部省と大蔵省は事実上統合されていた)を率いて改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる。しかし、予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、明治6年(1873年)に井上馨と共に退官した。
退官後間もなく、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(第一銀行、第一勧業銀行を経て、現:みずほ銀行)の頭取に就任し、以後は実業界に身を置く。また、第一国立銀行だけでなく、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。
第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。
渋沢が三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者と大きく異なる点は、「渋沢財閥」を作らなかったことにある。「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、後継者の敬三にもこれを固く戒めた。渋沢は財界引退後に「渋沢同族株式会社」を創設し、これを中心とする企業群が後に「渋沢財閥」と呼ばれたこともあったが、これは死後の財産争いを防止するために便宜的に持株会社化したもので、渋沢同族株式会社の保有する株は会社の株の2割以下、ほとんどの場合は数パーセントにも満たないものだった。 他の財閥当主が軒並み男爵どまりなのに対し、渋沢一人は子爵を授かっているのも、そうした公共への奉仕が早くから評価されていたためである。
道徳経済合一説
大正5年(1916年)に『論語と算盤』を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。
幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけた。 『論語と算盤』にはその理念が端的に次のように述べられている。
富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。
正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。
そして、道徳と離れた欺瞞、不道徳、権謀術数的な商才は、真の商才ではないと言っている。また、同書の次の言葉には、栄一の経営哲学のエッセンスが込められている。
事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、
しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、
さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。
そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、
道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、
余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。
経世済民
ウィキペディア
中国の古典に登場する語で、文字通りには、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意。
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