2014年2月9日日曜日

第67回シャン民族記念日 会場

2014年2月9日

第67回シャン民族記念日

会場 料理 舞踊 facebookイベント記録用

参考サイト マイソンカー  ビルマ市民フォーラム 




会場 YouTube


ちらしの連絡先に 「ノング・イン・レイ」があった。

食べログ

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シャン民族文化協会 HP見つからず









司会進行係の二人



代表サイ・サイン・モッさん(在日シャン民族文化協会の名誉会長 山田泰正氏)のあいさつ


あいさつ


司会進行係




1回目から支援し続ける在日韓国人のテイさん
同じマイノリティーの先輩としてアドバイスし続けているそうです。



受付



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シャン民族文化協会

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・在日外国人の生活実態と意識に関する研究会 | Facebook

在日外国人の生活実態、意識について研究報告、情報を提供していきます。
在日シャン族文化協会に関する情報等もこちらでお知らせしていきたいと思います。

説明

日本社会として、増加する在日外国人に対して、偏見や差別なく、どのように対応していくか考えていきます。将来的には、NPO設立を考えています。

フェイスブックページ・管理人 竹野富之(専門は文化人類学)  facebook

シャン文化情報誌マイソンカーを発行


NPO法人・在日シャン民族文化協会について

2013年4月10日 17:59  facebookのノートより

 NPO法人在日シャン族文化協会は日本に住むシャン族と日本人との文化的交流を深める目的で設立された団体です。主な活動は、シャン語教室(残念ながら、再開未定)、ナショナルデーの開催、シャン文化情報誌『マイソンカー』の出版(残念ながら、次回、出版未定)です。

 さて、近年、日本企業のミャンマー進出が喧伝されております。しかし、同国は民主化が徐々に進展しつつあるとはいえ、未だ軍事政権下にあり、政情は不安定なままです。実際に、現時点(2013年)では、少数民族問題は沈静化していますが、いつなんどき、再燃するかわかりません。また、ミャンマー国内における少数民族問題の再燃に日本人や日系企業が巻き込まれる可能性は決して低くはありません。

 従って、そのリスクを少しでも低下させるには、同国の情勢分析が不可欠です。当協会では、ミャンマーの国情等に興味のある方と情報交換、交流の場を設けたいと考えております。それ以外でも、シャン族の文化に純粋に興味のある方とも交流したいと考えております(例えば、ナショナルデー等イベント告知を通じて)。

 なお、交流会の模様や在日シャン族の現状については、また、次の機会にお話ししたいと考えております。

写真: 東京の池袋で、開催されたシャン族ナショナルデーにて。


ビルマ市民フォーラム facebook twitter

 日本で暮らすビルマ(ミャンマー)人と手を取り合い、ビルマの民主化を支援するNGO


「日本で民主主義、そして自由と責任を学んだ」 映画「異国に生きる」の主人公・在日ミャンマー難民が語る祖国への思い 

サイト

 ミャンマー(ビルマ)は、2011年に軍事政権から民政に移管し、高度経済成長が見込まれている。その一方で、軍政からの弾圧を逃れて来日したものの、今でも帰国できないミャンマー難民らは少なくない。2013年から上映されているドキュメンタリー映画「異国に生きる 日本の中のビルマ人」の主人公で、東京に暮らしている民主活動家チョウチョウソーさん(50)は「早く戻って国のために役立ちたい」と祖国への思いを話す。

「日本で民主主義、そして自由とそれに伴う責任の大切さを学んだ。この経験と力を祖国の発展に役立てたい。50歳のいまが一番いい」。チョウチョウソー(チョウ)さんはそう語る。

1988年、ミャンマー全土で独裁政権を批判する市民が立ち上がった。ラングーン(現ヤンゴン)では約20万人がデモに参加。広がるデモに軍は発砲し、数千人が殺害されたとされる。軍政による弾圧はその後も続き、危険を感じた多くの人々が、海外に亡命した。

チョウさんもその一人。「軍に捕まえられる直前に逃げた。みんな逃げたけれど、いまでも一人はどこにいったかわからない。殺されたかもしれない」。1991年に来日し、生きるためにレストランで働きながら、祖国で封じられた民主化運動を続けてきた。

 1999年に呼び寄せた妻ヌエヌエチョウさん(44)とともにミャンマー料理店を開き、ラジオのミャンマー語アナウンサーや翻訳業で生計を立ててきた。難民として認定を受けるまでは、いつ強制送還されるか不安だった。現在は、1万人近いとされる在住ミャンマー人の約1割が住み、ミャンマー料理店や雑貨店が点在し「リトル・ヤンゴン」とも呼ばれる東京・高田馬場で、レストラン「ルビー」を経営している。しかし、今でも「日本は自分の居場所ではない」と感じることがある。



 最大野党・国民民主連盟(NLD)党首のアウンサンスーチー氏が2012年の国会補欠選挙で下院議員に当選して国政参加するなどミャンマーの民主化が進み、日本から祖国へ戻ることを希望する人たちも増えている。しかし、課題は少なくない。

 民主化が本物かどうかの見極めがつかないことに加え、帰国するには過去にさかのぼって年12万円の「税金」を払え、と在日ミャンマー大使館が要求していることもある。また、日本に生まれて日本の学校に通う子どもたちがミャンマー語を話せないため、帰国を踏みとどまっているケースも少なくないという。

 さらに、反政府活動をした難民には旅券を発給しない場合も多い。チョウさんも、祖国の民主化の様子を確かめようと、昨年7月に旅券を申請した。しかし、現在まで入国の許可が下りていないという。祖国に戻るという願いはかなわないままだ。


 しかし、国の民主化については前向きにとらえている。「あかりは見えた。そのあかりが消えないように大切に守らないといけない」。祖国では、人々が以前に比べて意見を自由に述べることができるようになっている。ネット利用者も増え、フェイスブックなどのソーシャルメディアでの意見交換も活発になってきた。チョウさんは、昨年4月から月に数回、母国の新聞に寄稿をするようになった。

 スーチー氏が、2013年4月に27年ぶりに来日した際には本人と面会した。「大きなパワーを感じた」と話す。スーチー氏が議員に当選した当初は、物足りなさに不満を抱く国民も少なくなかったが、「(スーチー氏は)徐々に政府にものを言うようになっている。だけど、自分の力だけでなく、もっと周りの人たちと協力して民主化を進めてほしい」と期待を込める。

 民主活動をしている人たちはいま、スーチー氏の大統領就任を阻んでいる現憲法の改正を特に求めている。それ以外にも、資源開発をめぐる対立や、民族衝突などが問題となっている。「民主主義に向けて、政府だけでなくみんなで取り組まないといけない」と話す。

 東日本大震災の後には、在日ミャンマー難民らでバスを貸し切り、数十人で数回にわたって被災地にボランティアに出かけた。泥をかき出したり、炊き出しをしたり。映画「異国に生きる」の中でも印象的な場面となっている。「困っている人を助けるのは普通のこと。お金を送るのは簡単だけど、被災地まで行って被災者を直接支えるのが一番いい。それが人間関係だ」と話す。

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