2017年6月2日金曜日

第1回 エチオピアフェスティバル

2017年6月2日 エチオピア料理


日本初!第1回エチオピア・フェスティバル


第1回エチオピア・フェスティバル

日時:2017年6月2日(金曜日)から 
6月2日(金曜日)11時00分 から 19時00分、
6月3日(土曜日)10時00分から19時00分、
6月4日(日曜日)10時00分から19時00分

会場:シンボルプロムナード公園 イーストプロムナード
「石と光の広場」(東京ビッグサイト前)
      東京都江東区有明2丁目

主催:駐日エチオピア連邦民主共和国大使館
後援:JICA東京
運営:一般社団法人 エチオピア・アートクラブ、エチオピア・フェスティバル実行委員会

エチオピアフェスティバル

6/2金曜日、ビッグサイトの建築再生展へ行く途中、太鼓の音が聞こえて来た。
音の方へ歩いて行くと、こんなポスターを発見!

 今日から三日間、エチオピアフェスティバルが開催。







トルコのドネルケバブ


ジャマイカのライス&ピース





ジャマイカのジャークチキン
Yaad Food  サイト


なぜかジャマイカのお店がアフリカ料理店より多く出店していた。

早速Google先生に聞いてみた。
「ジャマイカとエチオピア」で検索

→ ラスタファリ運動 - Wikipedia

  赤、黄、緑とユダのライオンはラスタファリ運動のシンボルである。

 ラスタファリ運動は聖書を聖典としてはいるが、特定の教祖や開祖は居らず、教義も成文化されていない。それゆえ宗教ではなく、思想運動であるとされる[1]。基本的にはアフリカ回帰運動の要素を持ち、エチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世をジャーの化身、もしくはそれ自身だと解釈する。名称はハイレ・セラシエの即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(アムハラ語で『諸侯タファリ・マコンネン』の意)に由来する。 

 ラスタファリ運動には一握りのエリートによって支配され、社会的に抑圧されたジャマイカ市民による抵抗運動としてのメシア主義と、現実逃避的な千年王国思想の両面が垣間見える[2]。

 主義としてはアフリカ回帰主義(またはアフリカ中心主義)を奨励した。その指向は、ラスタの生活様式全般、例えば菜食主義やドレッドロックス、ガンジャを聖なるものとして見ることなどに現れている。 1970年代にレゲエ音楽や、とりわけジャマイカ生まれのシンガーソングライター、ボブ・マーリーによって全世界に波及する。全世界に100万人のラスタファリ運動の実践者がいると言われる。

 なお、ジャマイカの多数派宗教はキリスト教(プロテスタント・バプティスト派)であって、ラスタファリズムを信仰するのは全国民の5~10%前後である。

 ハイレ・セラシエ1世 ウィキペディアより

 1927年、ジャマイカの汎アフリカ主義運動家、マーカス・ガーヴィーが「黒人の王が即位する時のアフリカを見よ。その人こそ救世主となるだろう。」と予言したため、その3年後に即位したハイレ・セラシエ1世は南北アメリカ大陸の黒人達から、アフリカ大陸を統一し、離散した黒人のアフリカ帰還を告げる救世主として崇められるようになった。

 1970年頃からの深刻な飢饉と、スエズ運河閉鎖による原油価格高騰から来るインフレの悪化は国民生活を苦しめ、一部支配層の農作物の隠匿から餓死者が農村部で増加するなど、エチオピア社会は大混乱となったが、皇帝は何ら対応策を取らず、逆に飢饉を隠蔽するなど、国際社会の非難を浴びた。

 1973年以降、ストライキやデモが頻発し、エリトリアでは内戦が発生し、事態は悪化の一途を辿った。折悪しくも、皇帝が宮殿内に飼育しているペットのライオンに肉を与えている写真が発表され、深刻な食糧難に苦しむ国民を激怒させた。1973年9月には皇帝の孫イスカンデル・テスタ海軍副総督が、銃を突きつけて退位を迫る事件が起こり、皇帝の権威は政府内部でも著しく低下した。




 それには、マーカス・モザイア・ガーヴェイというブラック・ナショナリズム、ブラック・シオニズムのリーダーが関与していました。

 1910年頃、マーカス・ガーヴェイはコスタリカに移り、バナナ農園の管理を行っていますが、パナマ、エクアドル、ニカラグア、ホンジュラス、コロンビア、ベネズエラなど周辺諸国を旅して、農園で働く黒人や先住民族の悲惨な労働環境、人種差別・偏見を目の当たりにします。彼らの労働条件の改善を政府に求めますが聞き入れてもらえず、マーカスはジャマイカに戻り、自分の意見を訴えるためにジャーナリストに転じます。
1916年には、アメリカを講演して廻り大衆動員を果たしています。

翌1917年、マーカスは、黒人の権利拡大、生活の改善、そして「アフリカ回帰・黒人国家建国」を目的として、the Universal Negro Improvement and Conservation Association and African Communities League (UNIA)を設立し、ニューヨークのハーレムに活動拠点を移しています。そういえば、ハーレムには、今もマーカス・ガーヴェイの名を冠した公園もあります。1919年にはニューヨークで UNIA 世界大会を開催、1920年に UNIA は40ヶ国に支部を置く組織に発展しています。

 ガーヴェイと UNIA は、こうしてアメリカ黒人の絶大なる支持を得ますが、このムーブメントを危険視した米国政府は、詐欺罪で彼を投獄し、1927年には国外追放となります。ジャマイカが彼を受け入れますが、既に以前のカリスマ性はなく、失意のまま、英国へ移り、1940年にロンドンで亡くなっています。

 マーカス・ガーヴェイは、アメリカを離れる前に行った演説の中で、「黒人がアフリカで王の座に就くとき、その者こそが黒人たちの救世主となるだろう」という予言を残しています。そして彼の言葉が記憶に新しい1930年、アフリカでの独立を保つ国、エチオピアでハイレ・セラシエ1世が即位したことで、この予言は実現したと信じられるのです。ここにマーカス・ガーヴェイの呼びかけた「アフリカ回帰」ヲ目指す「ブラック・ナショナリズム」のムーブメントは、黒人の「現人神」を戴くことにより「ラスタファリズム」として宗教的な色合いを帯びていくのでした。


 マーカス・ガーヴェイ ウィキペディアより


 4月21日は「Grounation Day」と呼ばれるラスタにとって非常に大切な祝日です(ハイレ・セラシエがジャマイカを訪問した記念日)。そこで今回は、ラスタ思想を理解する上で大切な基礎知識を7つ紹介します。

 「ラスタ = マリファナ」ではない

 ラスタカラーの意味

 黒 – 解放のために戦った黒人戦士
 赤 – 戦いで流れたラスタたちの血
 緑 – 故郷ジャマイカの豊富な自然
 黄 – 楽園アフリカの富

 先祖たちが奴隷として故郷から強制的に連れ去られたことから、ラスタファリたちは今いる場所を「本来居るべきではない地獄」と考えている。彼らにとってはアフリカが「ザイオン Zion」であり、アフリカが地球上の楽園。「アフリカ回帰」こそが多くのラスタたちにとっての究極的なゴールなのだ。


そして60年代末までには、Reggae Boysが「Salassie a go burn them with fire」という歌詞を組み込んだ「Salassie」を、U Royが「Righteous Ruler」を、Abyssiniansが「Satta Amassa Ganna」を、そしてBurning Spearが「Zion Higher」をリリースした他、Bob Marleyも「Selassie Is the Chapel」、「Satisfy My Soul Jah Jah」を歌い始め、ラスタファリ運動は世界から注目を集めるようになっていった。

ジャマイカの音楽史において、セラシエ1世ほどの影響を与えた「国外の人物」は存在しない。彼の訪問の1カ月前に同国を訪れていたエリザベス2世でさえも、注目度と影響力では遠く及ばなかった。彼の訪問はジャマイカの歴史-特にラスタファリ運動とレゲエの誕生-において本当に大きな意味を持つ分岐点として、今でも語り継がれている。


 ジャマイカンビレッジというのは、ある新興宗教(思想グループ)の施設。
「ラスタ教」とか「ラスタファリ」と呼ばれている。 (シシャマネ)

ラスタ村にはジャマイカからの移民が暮らしている。
ここはラスタ教の聖地。

レゲエの神様、ボブ・マーリーもラスタの教えを音楽で広めている。
レゲエでは黒、緑、赤、黄色が好まれるけどこのラスタカラーもエチオピアの国旗と同じ色。
ドレッドヘアも「自分の体を傷つけてはいけない」というラスタの教えからくるものなんだって。
またマリファナは精神を穏やかにする神聖なものとされている。



→ 「約束の地」での厳しい現実、エチオピアのラスタたち 写真6枚 

 ラスタファリ運動の一組織、エチオピアン・ワールド・フェデレーション(Ethiopian World Federation)の代表を務めるルーベン・クシュ(Reuben Kush)さんは、「われわれはこれまで、どうやって生き延びて来れたんだろうか…」と自問する。同組織は1930年代に設立され、基本的人権を求めて活動を続けている。

 ラスタの人々は皆、自分たちをエチオピアに導いたのは、旧約聖書の中で幾度となく登場し、古代イスラエルのソロモン王(King Solomon)の下を訪れたシバの女王(Queen of Sheba)の生誕地に宿る「神」だと信じている。

  クーデターでエチオピアの大統領となった独裁者、メンギスツ・ハイレ・マリアム(Mengistu Haile Mariam)は1970年代後半、シャシャマネの土地を没収した。この時、多くのラスタたちが独裁的支配から逃れ、土地を離れた。1991年に政権が崩壊し、一部のラスタはシャシャマネに戻ったが、「約束の地」での生活は決して楽なものではなかった。

「皇帝は500ヘクタールをわれわれに与えてくれたが、今は6~7ヘクタールだ。土地に関して自分たちは何の権限も持っていない」とクシュさんは語る。

 エチオピアでの統制は厳しいため、ラスタたちには住居に関する許可や資産の申請は認められていない。土地はセンシティブな問題なのだ。就労状況も厳しく、子どもを大学に進学させることもままならない。

 11月に行われたハイレ・セラシエ1世即位85年の記念行事では、シャシャマネの街中にレゲエ音楽が流れ、教会では讃美歌が歌われた。そして周辺にはマリフアナの匂いが漂っていた。

 クシュさんは「われわれが求めるのは基本的人権。子どもたちに、『君たちの国だよ』と話せるようにならなければ。子どもたちはここで生まれても、無国籍者として扱われる。ここでの身分証明も、親の出身国での身分証明も持つことができない。われわれは中途半端な存在となっている」と自分たちが置かれた状況について説明した。



→ ボブ・マーリーの遺体がエチオピアに埋葬 2005年1月13日

 計画しているのは元ウェイラーズのメンバーでもあった奥さんのリタ・マーリー。
来月エチオピアで開かれる、ボブの60回目の誕生日記念セレモニー(一月続くらしい)のあと、実行される予定だとのこと。

「彼はここジャマイカのためではなく、いつもアフリカのために生きてきた」
「(彼の遺骨をエチオピアに埋葬するのは)彼の遺志でもある」
「エチオピアは彼の魂が唯一安らげる安息の地」


→ → エチオピア再埋葬は撤回…故マーリーの夫人  ZAKZAK 2005/01/15

 故郷ジャマイカに眠るレゲエのスーパースター、故ボブ・マーリーの遺体を掘り出して、生前愛したアフリカ・エチオピアに2月に再埋葬する計画を発表した妻リタさんが、14日までに計画を撤回した。AP通信などが伝えた。

 計画が報道されると、ジャマイカ国内で「国民的財産を奪う敵対行為」「ボブは故郷を愛していた」などと新聞やラジオ、インターネット上で批判が殺到、大騒ぎとなった。

 これを受けリタさんは、代理人を通じて「(マーリーは)当面はジャマイカに眠り続ける」との声明を発表した。(共同)





体験!「アフリカの昼ご飯」 

facebookイベントページ

日時 2017年6月24日 13:00 - 16:00

会場 JICA 地球ひろば 
〒162-8433 東京都 新宿区市谷本村町10-5

主催 アフリカ理解プロジェクト facebook


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アフリカ料理はアフリカの人そのもの。個性的でエネルギッシュ。ぴりっとスパイスが効いて、素朴だけど忘れがたい味。
アフリカ料理には「食の知恵」がいっぱい!アフリカ布のあしらいとテーブルコーディネートも体験できます。



「アフリカ料理の本」


 アフリカ料理は、アフリカの人たちそのものです。個性的で、エネルギッシュ。スパイスが効いて、素朴で、ぴりっとしていて、忘れがたい。
 この本は、アフリカの伝統料理から新しい料理まで、62のおいしいレシピを紹介しています。 この本は、ただおいしいアフリカの料理を紹介するだけでなく、料理にまつわる話やアフリカの人たちの食の知恵を紹介しています。 

 アフリカの料理にチャレンジしていくなかで開発途上国の文化の多様性を尊重し、食料・水・エネルギー問題といった人類の課題を克服するため、世界の人々とともに知恵を出し合ってほしい、そういう想いから私たちはこの本をつくりました。 

 アフリカの食卓は、自然の恵みに満ちてにぎやかです。

もしあなたが、まだアフリカに行ったことがなければ、この本はアフリカを知る扉になるでしょう。

もしあなたが、いつかアフリカに行きたいと思っているなら、この本は空想の羽になるでしょう。

この本はあなたのためのアフリカ大陸一周の本です。
豊かでにぎやかなアフリカの食卓にあなたもいっしょに座りませんか?




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昼のステージにて







昼、ステージでエチオピアのアバール地方のダンスが披露された。





舞踊





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