2013年12月16日月曜日

中央アフリカ共和国

2013年12月16日

中央アフリカ共和国

中央アフリカの国旗


ウキペディア

クーデター・ボカサ政権

 1965年12月にダッコの従兄弟で当時国軍の参謀総長だったジャン=ベデル・ボカサ中佐による軍事クーデターが起こり、ダッコ政権が転覆。

1966年1月、ボカサ中佐が大統領に就任、独裁政治をはじめる。

1970年10月、ジャン=ベデル・ボカサ大学開校。1972年、ボカサ大統領が終身大統領を宣言する。

1976年12月、ボカサ大統領により中央アフリカ共和国に帝政を敷くことが決定される(中央アフリカ帝国)。

1977年12月4日、ボカサ大統領は約65億円(2000万ドル)という国家予算の1/4に相当する国費をつぎ込むなど、贅を尽くしたフランス風の戴冠式を行い、中央アフリカ帝国初代皇帝ボカサ一世を称する。(「黒いナポレオン」)。


クーデター・ダッコ政権 

1979年9月 ボカサ皇帝の外遊中にフランスがクーデターを仕掛けボカサ政権を転覆

フランスが介入し共和制復活。新憲法の制定、複数政党制の導入など行われた。

ダッコ元大統領が再就任。


パタセ政権 

1993年の選挙でコリンバは落選し、パタセが大統領に就任。国内の混乱は収まらず騒乱状態となり、1998年には国際連合中央アフリカ共和国ミッションによる多国籍軍の駐留が行われた。


クーデター・ボジゼ政権

2003年、チャドのイドリス・デビ大統領の支援を受けたフランソワ・ボジゼが、パタセ大統領が国外にいる間に権力の掌握に成功して大統領に就任。


クーデター・セレカ政権

 2012年12月、反政府武装勢力CPSK-CPJP-UFDRの連合体であるセレカは、北部および東部の広域を掌握。

翌年3月には、1月の和平合意を履行しなかったとしてボジゼ政権への攻撃を再開し、24日首都バンギを制圧した。ボジゼ大統領は隣国コンゴ民主共和国へと脱出した。旧宗主国であるフランスは、バンギ空港を確保した。

 セレカの主導者ミシェル・ジョトディアが自ら暫定大統領に就任(軍事独裁、軍事政権(英語版))し、3年後の選挙までチャンガイ(英語版)首相が政権を担うことになった。だが、アフリカ連合はセレカによる首都制圧を非難、加盟国に対し「結束した断固たる行動」を求めた。4月、ジョトディアはアフリカ連合の要求を受け入れ、暫定評議会を設置。ほかに候補者がいないなかで、暫定評議会から大統領に選出された。

 8月、宣誓式が行われ、正式にジョトディアが大統領に就任した。ジョットディアは、中央アフリカの歴史上初めてのイスラム教徒の大統領であったが、2013年9月にはセレカの解散が行われ、国内が無政府状態に近い状況に陥った。

首都でも武装勢力同士の武力抗争が、イスラム教とキリスト教の対立へと軸が変化しながら激化。数百人規模の死者が出る状態となったため、2013年の後半には旧宗主国のフランスやアフリカ連合の治安維持を目的とした派遣軍の軍事介入を受けた。


※つながりと人物の背景がないのでわかりにくい。

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2013年12月12日

中央アフリカ首都で戦闘、虐殺も 1週間で500人死亡

ニュース 

 【プレトリア=杉山正】中央アフリカが、治安悪化の一途をたどっている。3月に武装勢力の攻勢で、大統領が国外へ脱出し、宗教対立に発展。首都バンギでは1週間で500人以上が殺害された。旧宗主国のフランスが軍部隊を派遣した。

 3月、イスラム教徒主体の武装勢力の連合体「セレカ」がバンギを制圧。指導者のジョトディア氏が大統領への就任を宣言した。

 ジョトディア氏はセレカの解散令を出したが、武装解除に応じない勢力が軍閥化した。9月ごろから、キリスト教系民兵組織「アンチ・バラカ」が武装闘争を開始。周辺のチャドやスーダンなどの武装勢力も入り込み、事態を複雑にしている。

 比較的平穏だったバンギでも今月5日に大規模な戦闘が始まった。住民の虐殺、イスラム礼拝所の破壊などが発生。国連によると、バンギだけで新たに10万人以上が教会や空港などに避難した。国民の半数が緊急援助が必要な状態だという。


 現地で支援活動している国境なき医師団(MSF)の声明によると、武装集団がバンギの病院を襲撃した。処刑行為が行われ、病院前では十数人の遺体が目撃されたという。

 地方でも頻繁に虐殺が起きており、暴力による死者数は不明。援助団体も襲撃を受けるため、多くの地域で支援が届いていない。

 これに対し、1600人規模の仏軍部隊が事態の収拾を図っているが、9日に兵士2人が死亡した。事態を重く見たオランド大統領も10日にバンギに入った。AFP通信によると、武装解除を進め、来年後半までに選挙を実施し、正常化を図りたい考えだという。ただ、武装勢力は各地に群雄割拠。戦闘は広範囲に及んでおり、国全体の安定の時期は見通せないままだ。

 同通信によると、仏軍の作戦によって、首都からは武装勢力の姿がほぼ消えたものの、略奪は続いている。

 バンギに住むキリスト教徒のビンセントさん(39)は自宅を離れ、家族とともに教会に避難している。11日も銃声が聞こえているという。「家々や商店が略奪された。自分の家がどうなっているか、いつ帰れるようになるかもわからない」と電話で語った。

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