2015年4月12日日曜日

仏教について

2015年4月12日




ハフィントンポスト・ジャパン

仏教について考えるだけで思いやりが深くなることが判明


 The Huffington Post |  執筆者: Carolyn Gregoire


スタンフォード大学の研究グループは、ベルギーと台湾のグループと共同で、異なる宗教的バックグラウンドを持つ人々を仏教の考えに触れさせれば、偏見をなくすだけでなく、他人への責任感を持ったり、慈悲や共感といった感情を覚えるなどの、向社会的な性格を育むことを発見した。


「 Personality and Social Psychology Bulletin(PSPB)」の4月号で発行されたこの研究は、「プライミング効果」として知られる現象に焦点を当てている。プライミング効果とはある特定の言葉やイメージ(この場合は仏教の言葉)に触れるときに発生し、無意識のうちに思考や振る舞いに影響を及ぼすものだ。


研究のために全部で355人の被験者がそれぞれのバックグラウンドに基づいてグループ分けされた。西洋のキリスト教徒、仏教の教えに従う西洋人、仏教と道教のバックグラウンドを持つ台湾人などだ。これら3つのグループはさらに、宗教的なプライミングが起こるグループと、宗教的ではないがポジティブな意味の言葉(花、太陽、自由など)を使うようになるグループとに分けられた。

さらに、被験者たちは他の異なる民族的、宗教的グループへの偏見を明らかにするように意図されたテストを受けた。

全てのグループの中で、「仏陀」や「ダーマ」「目覚め」などの言葉にワードパズルで触れたグループは、キリスト教や宗教的ではない言葉に触れたグループよりもアフリカ人やイスラム教徒へのネガディブな反応が少なかった。

仏教の言葉でプライミングした被験者たちは、向社会的な行動を測定するテストでも高いスコアを獲得した。これらの効果は心のオープンさを測るテストで高いスコアを出したグループで特に明らかだった。

向社会的な行動は多くの部分で、異なる考えを重んじ、普遍性やつながりを大事にする仏教の価値観の核と合致している。

しかしながら、研究グループは仏教が他の宗教より「良い」ものであるということではないとしている。


※高校の時に読んだアメリカの行動主義心理学のような研究みたいに感じた。

今は、プロパガンダ、マーケティングなど大衆を感情的にコントロールする技術が流行っている。

一方で論理的な対話型の思考でコンピューターのプログラム言語が凄い勢いで発展。

 社会は洗脳型の教育が進み、対話型の問題解決思考からどんどんかけ離れている。

「プライミング効果」のような人体実験も大切だけど、それ以上にプラトン、ソクラテス、孔子、イエス、ブッタ、モハメッドなどの「言葉」だけでなく「対話」を現在も繰り返す必要があると思う。

しかし、多くの宗教、組織の構成員は、カリスマや上司の言葉のみを受け入れ、自分で判断することなく、言葉に従う。

・テロリストと称される人は、リーダーの言葉で行動を起す。
・普通と思っている人は、マスコミや政府の言葉を信じ、敵と称される人を憎む。
・そして、お互いに憎むべき敵を殺し合う。けっして本当の敵を知ることなく、敵と教え込まれた人を疑いもなく殺し、本当に敵だったのか、本当に正しいことなのかなど考えない。

言葉をただ学ぶだけでなく、どのように感じたのか、その言葉について語り合い、記録を残し、その記録をもとにさらに話し合うのが対話型。

ユダヤ教では、旧約聖書やタルムードの解釈が多く存在し、今でも新しい解釈が生み出されている。


 過去の考えを理解してから新しい解釈を提示。
まるで過去の人と対話しているようだった。

 教えられるのではなく、自主的に考え、答えを探し、自分の言葉で噛み砕いて検討して、初めて自分のものとなる。



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ハフィントンポスト・ジャパン

仏教は、束縛から人を自由にする教えです


お寺の女塾の開催、女子高での講演、お寺の過疎対策講習準備のため長崎の離島にあるお寺を訪問、蓮花寺佛教研究所の研究会に出席、リヴオンによるダライラマ法王猊下の講演会を聴き、大手企業のCFO/CIOが集うサミットでの講演、大阪大学の学生と講演・対話、京都・法然院の梶田住職と念仏会200回記念の対談、徳島での未来の住職塾1Dayプログラムの開催、The Economistに私の名前が掲載され・・・ いつもながらいろいろあった半月でした。
さて、私が研究員として籍を置く蓮花寺仏教研究所ではここ数年、共通の研究テーマとして「仏教と経済」を掲げて研究がなされていますが、歴史を訪ねても今ほど日本人の価値観における経済と霊性のバランスが崩れている時代はないのではないかと思います。そして、秘密保護法案など、気になる動きも活発化しています。内田樹先生が、「日本のシンガポール化」「国民国家の株式会社化」と表現されていましたが、その通りだと思います。今に始まったことではありませんが、ますます息苦しい世の中になってきました。

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ハフィントンポスト・ジャパン

自灯明的生き方のススメ ―仏教は「ブーム」なんかになりえない―

仏教を自分の「外側」に置いたままで楽しむような「ブーム」的な関わり方では、どうしたって限界があるということだ。最終的に、仏の教えを自分のものとし、そこを「日常」として生きていくことによって、自身の「内側」に変化をもたらしていかないことには、真の安らぎの存在に気づくことはできないのだ。
お寺や仏像に興味を持ち、そこに「心の安らぎ」を求めてきた人々は、遅かれ早かれ、その事実にぶち当たることになる。そこでようやく、仏教との関わり方を、自ら意志を持って、少しずつ変化させはじめるのだ。
この「変化」がミソとなる。
ところで、仏教は「自灯明(じとうみょう)法灯明(ほうとうみょう)」を説く宗教だ。お釈迦さまの生前最後の教えとされるこの言葉は、現代語に訳せば、「よく整えられた自らを拠りどころとし、正しい教えを拠りどころとすること」ということになる。(広辞苑より)
この「自灯明」こそが、仏教というものの最大の特色だ。
つまり、仏教は「外側」の何かを信じていく宗教ではなく、自らの「内側」の仏性に目覚めていく宗教ということができるだろう。自分の内側に「仏」を見出し、そこを最大の拠りどころとして生きていく。その方法を説いたものが仏教なのだ。




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仏教徒であるかどうかにかかわらず、慈悲の気持ちを引き起こすことができるという。
Posted by HuffPost Japan on 2015年4月11日

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