2015年3月31日
「ゆめかうつつか まぼろしか」 個展
解説を読み、なるほどと感じる作品もあれば、
なんとなく見て感じとれる作品もある。
写真で見るよりも、大きく存在感があった。
作り手を知り、作品を知る また楽しからずや
「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」と感じてもらえれば嬉しい。
2015年3月31日火曜日
さくらフェスティバル2015
2015年3月31日
トイレは貸出していないようです。
(九段下駅から来る途中で公衆トイレがあります。)
手も洗えないので、ウエットティッシュがあれば便利です。
4/1~4/5 11:00~20:00 九段下のインド大使館で開催中。
2015年3月30日月曜日
2015年3月29日日曜日
2015年3月26日木曜日
お知らせ 3/31 10:00~17:00 千代田区国際交流イベント2015 無料
3/31 10:00~17:00 千代田区国際交流イベント2015
区民ホール(区役所1階) 東京都千代田区九段南1-2-1 区役所のサイト
アイルランド共和国・イスラエル国・東ティモール民主共和国・南アフリカ共和国の大使館等が文化紹介や民族音楽、物販を実施します。
政策経営部国際平和・男女平等人権課国際平和担当
〒102-8688 東京都千代田区九段南1-2-1
電話番号:03-5211-4165
ファクス:03-3239-8605
メールアドレス:kokusaidanjo@city.chiyoda.lg.jp
詳細わかり次第、更新します。
2015年3月24日火曜日
2015年3月23日月曜日
メキシコのサパティスタの反乱
2015年3月23日
昨日、クルドの新年のお祭り ネウロズ Newrozに行ってきました。
クルドを調べていてこんな記事を見つけました
「 サパティスタの中核的なモットーに「別の世界が可能だ」というのがあります。
私たちも敢えてその標語を信じ、チアパスのサパティスタを、ロジャバのサパティスタを支援しなければなりません。 」
藤永茂さんのブログ「私の闇の奥」 ロジャバ革命(2) より
1994年1月1日にメキシコチアパス州ラカンドンでサパティスタ民族解放軍が起こした反乱。この日は北米自由貿易協定が発効する日であった。
北米自由貿易協定 NAFTA:North American Free Trade Agreement
カナダ、メキシコとアメリカ合衆国によって署名され、北アメリカにおいて3か国による貿易圏を生み出した自由貿易協定である。1992年12月17日に署名され、1994年1月1日に発効した。
域内の人口は約4億5751万人
(アメリカ約3億1085万人、カナダ約3433万人、メキシコ約1億1232万人、すべて2010年)、
GDPは約17兆1,918億ドル(うちアメリカが約14兆6,241億ドル、2010年)に達する。
(欧州連合は2010年現在27か国、域内人口は約5億0210万人、GDPは約16兆1,068億ドル)
NAFTA成立以降、域内の貿易は拡大し、特にメキシコではマキラドーラが成長しアメリカとの国境地帯の所得はNAFTA発効後の10年間で15.5%増加した[1]。
逆にアメリカでは職がメキシコに流出したとして批判された。
アメリカの域内での貿易赤字は2010年で約7.5兆円で、これはアメリカの総貿易赤字の26.8%にあたる。
交渉の段階では農業の分野が特にメキシコで懸念されたが、1994年から2001年の間にメキシコの農産物の輸出は9.4%増加したのに対し農産物の輸入の増加は6.9%だけであった[2]。
NAFTAの影響は、
肯定的なものも否定的なものも含め、経済学者によって定量化され、世界銀行が発行した「ラテンアメリカとカリブ海諸国のためのNAFTAの教訓」、
「NAFTAが最初の10年間に北米に与えた影響」、
国際経済問題研究所が発行した「NAFTA再考」、
などの発行物において報告されている。
NAFTAは3か国のすべてにおいて企業家やエリートには利益をもたらしたが、メキシコの農家はアメリカのアグリビジネスによる安い輸入農産物によって被害を蒙り、またアメリカの製造業に従事する労働者も職を失ったと主張している。(※誰が言っているのか?)
批評家たちはまた、NAFTAによってアメリカとメキシコ両国において格差が拡大したと主張している。
これらの補助金はメキシコの農家と食料自給率を危険にさらすダンピングの原因になっていた。
他の研究者は、NAFTAが存在する10年前から穀物の生産量が増加している傾向が存在し、NAFTAが発行してからもトウモロコシの生産が増加し、補助金を交付されたアメリカ農家が作った輸入トウモロコシがメキシコのトウモロコシ価格に計測可能な影響を与えた形跡はなく、アメリカの農業への補助金の廃止がメキシコの農家にとって利益をもたらしたことには同意しながらも、貧しい農家の収入の減少を強いる原因であるとしてNAFTAを拒絶している。
グレアム・パーチェイス(Graham Purchase)の「無政府主義と環境の存続、Anarchism and Environmental Survival 」によると、NAFTAは「企業の利益によってメキシコ人が革命で得たエジード(Ejido、村の小作農が協力して土地を所有する形態)を破壊し、地方の人々の利益を完全に無にする脅威」の原因になりかねないという。
NAFTAの準備にはエミリアーノ・サパタが主導した1910年から1919年の革命の記念碑的存在だったメキシコの憲法27条の廃止が含まれていた。
歴史的な27条によって、先住民の共用地は売却や私有化から守られていた。
しかしNAFTAによって、この保証は投資する際の障壁であると定義された。
27条の廃止によって、先住民族は彼らに残された土地の喪失の脅威にさらされ、またアメリカからの安い輸入品が洪水のように押し寄せた。
こうして、サパティスタたちはNAFTAが先住民族に対する「死刑宣告」であるとみなすようになった。NAFTAが施行された1994年1月1日、サパティスタ民族解放軍はメキシコに対して宣戦を布告した。
ウィキペディアより
サパティスタ民族解放軍(-みんぞくかいほうぐん、Ejército Zapatista de Liberación Nacional、EZLN)は、メキシコで最も貧しい州とされるチアパス州を中心として活動するゲリラ組織である。単にサパティスタと呼ばれることも多い。サパティスタはチアパスの貧しい先住民族の農民達を主体に組織されているが、その支援者はメキシコ国内の都市部などにも幅広く存在し、またウェブサイトを介して世界的な支援を受けている。
サパティスタという名称は、メキシコ革命において農民解放運動を指揮したエミリアーノ・サパタにちなむもので(「サパタ主義(サパティスモ)」)、サパティスタ民族解放軍はこのサパタの思想を引き継いだ革命行動である。
1994年1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効日に、サパティスタ民族解放軍は、「NAFTAは貧しいチアパスの農民にとって死刑宣告に等しい」として、メキシコ南部のチアパス州ラカンドンにおいて武装蜂起した。
NAFTAによって貿易関税が消失し、アメリカ合衆国産の競争力の強いトウモロコシが流れ込むと、メキシコの農業が崩壊することや、農民のさらなる窮乏化が予測されたのである。
実際にメキシコでは、NAFTA発効後、多くの農民が自由競争に敗れて失業し、メキシコ市のスラムや北部国境のリオ・ブラーボ川を越えてアメリカ合衆国に流入した。
ラカンドンでは、木材のグローバル商業化や、石油やウランの発掘がもくろまれており、当地の先住民を一掃する大規模な強制排除計画が進みつつあった。
具体的には、白色警備隊と呼ばれるギャング組織が大規模農園主によって雇われ、暗躍し始めていた。
身に迫る脅威を前に、インディオたちはついに、500年の抑圧を経て立ち上がったのである。
これに対し、メキシコ政府は武力鎮圧で応じ、チアパス州のインディオ居住区を中心に空爆を行なったため、サパティスタ側に150人近い犠牲者が出た。
これを受けて、サパティスタ側は対話路線に転換したが、結果的にそれが奏功し、以後、メキシコ国内外から高い評価と支援を受けることになる。
サパティスタ民族解放軍は、先住民に対する構造的な差別を糾弾し、農地改革修正など政府の新自由主義政策に反対、農民の生活向上、民主化の推進を要求し、政府との交渉と中断を何度も繰り返しながらも、今日まで確実にその支持者を増やし続けている。
サパティスタ民族解放軍の実質的リーダーは、サパティスタ民族解放軍のスポークマンであり反乱軍の指揮も執るマルコス副司令官であるが、マルコスは例外的に非先住民族である。マルコスが反乱軍の指揮を執りながら司令官ではなく副司令官を名乗るのは、「真の司令官は人民である」との信念に基づく。
サパティスタ運動の方法論や主張は、従来の左翼ゲリラと一線を画しているため世界的な注目を得ている。
サパティスタ運動は、最初のポストモダン的革命運動であると言われている[要出典]が、それはサパティスタ民族解放軍がインターネットを介して大々的に自らの主張を展開し、またそれによって世界的な支援を獲得したために、もはや武力などの実力を行使せずとも隠然たる影響力をメキシコ政府に対して持つに至ったというまさにIT時代の革命運動だったからである。
たとえば、マニュエル・カステルは、サパティスタを「初の国際ゲリラ」と称している[1]。この点において、コロンビア革命軍やIRA、日本の極左暴力集団に代表される、武力や脅迫といった一般人の犠牲者をも生むテロリズムに頼る前例とは異なった革新的手法と言える。
また、サパティスタ運動はメキシコからの独立や、政権の転覆と政権の奪取を目的とする反政府運動ではなく、世界的な新自由主義グローバリゼーションがもたらす構造的な搾取と差別に対して闘うことを目的とした運動であるという意味においても従来にない左翼ゲリラであった。
※ある意味、これも一種のクラウドファンディングだと思う。
自分のプランを告知し、賛同者を募り、実現していく。
通常は、何かことをなし、実績ある者だけが信頼され、融資を受けてきた。
しかし、多くの革新的な事業は、実績のない者が発案し、苦労して実現されている。
クラウドファンディングは、まだ実現されていない夢を実現するための手法となる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考
・メキシコ麻薬戦争 ウィキペディア 2006年12月6日~現在
2006年12月11日、新しく選ばれたフェリペ・カルデロン大統領が麻薬組織による暴力をそこで終わらせるために6,500人の連邦国軍をミチョアカン州に派遣。
2003年から2009年の間に150,000のメキシコ軍兵が逃亡したと報告されている。換言すれば、毎年メキシコ軍の約1/8が逃亡している事になり[83]、これらの逃亡者は、政府から支給されたアメリカ製の自動小銃もいっしょに持ち去っている[84]。
およそ78,000人の銃のディーラーがアメリカにはいるが[99]、銃が示す窃盗と個人的な売上高は、認可されたディーラーよりも、銃犯罪に使われた銃は密売人による物の方が大きい[92]。銃の密輸業者は強要させることも知られており[100]、半自動のアサルトライフルおよび他の銃は銃ショップもしくは銃ショー (en)で購入するために市民もしくはアメリカの住民に支払われ、それからカルテルの代理人に譲渡される[77] [101] [102][103] [104] [105]。この交換はen:Straw purchaseとして知られている[106]。
・正義と尊厳ある平和のための運動 ウィキペディア
メキシコ麻薬戦争に対しての解決の方法を模索する中で生まれたメキシコ市民によるデモ運動である。
詩人ハビエル・シシリア (Javier Sicilia) (彼は息子フアン・フランシスコの命をマフィアの手によって奪われた被害者の一人である)は、2011年4月26日メキシコ市民に呼びかけて、マフィアと政府の闘争が生み出す暴力に対してデモを行った。
行進が終わった時、国内の治安の悪さに対する国民的合意の設立を宣言し、『慰めの行進』と呼ばれた新たな運動の結果、同年6月10日に、チワワ州のシウダー・フアレスにて署名された。この運動はマフィアに対してメキシコ政府が行っている対策の見直しと、オープンな対話の実現を要求した。
2011年3月28日、モレロス州の検察庁は7人の遺体の存在を確認した。その中には、詩人でジャーナリストでもあるハビエル・シシリアの息子、フアン・フランシスコ・シシリア=オルテガの遺体も確認された。
4月2日、ハビエル・シシリアは詩からの引退を宣言し、
同月26日、国民間での行進を呼びかけ、メキシコにはびこる暴力の中断を要求した。
同年5月5日には、彼を支持するグループは彼の呼びかけに応じて長距離の行進を始めた。
同年6月23日には、フェリペ・カルデロン大統領はこの訴えを受け入れ、チャプルテペック城にて平和についての対談が行われた。
サン・クリストバル・デ・ラス・カサスでは、サパティスタ民族解放軍(EZLN)のマルコス副司令官も暴力の中断に賛成し、声明文を発した。
・2014年メキシコ・イグアラ市学生集団失踪事件
アヨツィナパ師範学校は、歴史的にも常に連邦政府および地方自治体の抑圧の対象となっていた。2011年12月12日ゲレロ州の州都チルパンシンゴにおいては、抗議デモ中に師範学校の学生と連邦警察及び州警察が衝突し、学生2名が命を落とした。
国立人権委員会は、その12月12日の深刻な殺人事件に関して調査を行ったあと、勧告VG/2012を表明した。
デモに介入したゲレロ州政府の職員168人は、学生の集会をする自由の権利を侵害し、デモ隊を犯罪者に対するように扱った。
報告書では、デモに介入した警察官は武器を所持していたのに対し、参加者たちは武器を何も携帯していなかった、と詳細に述べられていた。
しかし、ホルヘ・アレクシス・ピノとガブリエル・エチェベリア=デ=ヘスースの死に関して、未だ職員への処罰は加えられていない。
2014年9月26日夜21時30分 イグアラ市警察が、3台のバスに乗って移動中のアヨツィナパ師範学校の学生らに向かって銃撃を始めた。
同年9月26日 学生達が抗議の記者会見を行っていた時、警察および見知らぬ複数の人物によって二回目の銃撃を受けたとされる。
43人の学生集団失踪事件
※ウィキペディアの記事では、43人の疾走の経緯が不明。
・メキシコ大学生43人不明事件遺体発見、市長の逮捕とその動機 2014年11月22日 NAVERまとめ より
(ポイント)
アヨツィナパ師範学校は生徒数約520人の男子校で、生徒の多くは貧しい農家の出身。ここでは農村部の小学校の教師を養成。
2014年9月26日 反汚職デモに参加した師範学校の学生43名を乗せていたバスが、地元警察に襲撃され、行方不明となる。
事件直後から地元の市町が逃亡。
同年11月5日イグアラ市長のホセ・ルイス・アバルカと妻が逮捕。
市長夫婦は麻薬組織の構成員で、市長は毎月300万ペソ(約2600万円)を組織に上納していたという。
参考
犯人は市長…メキシコの集団失踪事件がコワすぎる NAVERまとめ
メキシコ学生失踪事件、襲撃指示容疑の前市長とその妻を拘束 AFP
昨日、クルドの新年のお祭り ネウロズ Newrozに行ってきました。
クルドを調べていてこんな記事を見つけました
「 サパティスタの中核的なモットーに「別の世界が可能だ」というのがあります。
私たちも敢えてその標語を信じ、チアパスのサパティスタを、ロジャバのサパティスタを支援しなければなりません。 」
藤永茂さんのブログ「私の闇の奥」 ロジャバ革命(2) より
サパティスタの反乱
ウィキペディアより1994年1月1日にメキシコチアパス州ラカンドンでサパティスタ民族解放軍が起こした反乱。この日は北米自由貿易協定が発効する日であった。
北米自由貿易協定 NAFTA:North American Free Trade Agreement
カナダ、メキシコとアメリカ合衆国によって署名され、北アメリカにおいて3か国による貿易圏を生み出した自由貿易協定である。1992年12月17日に署名され、1994年1月1日に発効した。
域内の人口は約4億5751万人
(アメリカ約3億1085万人、カナダ約3433万人、メキシコ約1億1232万人、すべて2010年)、
GDPは約17兆1,918億ドル(うちアメリカが約14兆6,241億ドル、2010年)に達する。
(欧州連合は2010年現在27か国、域内人口は約5億0210万人、GDPは約16兆1,068億ドル)
NAFTA成立以降、域内の貿易は拡大し、特にメキシコではマキラドーラが成長しアメリカとの国境地帯の所得はNAFTA発効後の10年間で15.5%増加した[1]。
逆にアメリカでは職がメキシコに流出したとして批判された。
アメリカの域内での貿易赤字は2010年で約7.5兆円で、これはアメリカの総貿易赤字の26.8%にあたる。
交渉の段階では農業の分野が特にメキシコで懸念されたが、1994年から2001年の間にメキシコの農産物の輸出は9.4%増加したのに対し農産物の輸入の増加は6.9%だけであった[2]。
NAFTAの影響は、
肯定的なものも否定的なものも含め、経済学者によって定量化され、世界銀行が発行した「ラテンアメリカとカリブ海諸国のためのNAFTAの教訓」、
「NAFTAが最初の10年間に北米に与えた影響」、
国際経済問題研究所が発行した「NAFTA再考」、
などの発行物において報告されている。
NAFTAは3か国のすべてにおいて企業家やエリートには利益をもたらしたが、メキシコの農家はアメリカのアグリビジネスによる安い輸入農産物によって被害を蒙り、またアメリカの製造業に従事する労働者も職を失ったと主張している。(※誰が言っているのか?)
批評家たちはまた、NAFTAによってアメリカとメキシコ両国において格差が拡大したと主張している。
メキシコの農家への影響
2000年、アメリカ政府はトウモロコシ農家への補助金を100億1000万ドル支払っていた。これらの補助金はメキシコの農家と食料自給率を危険にさらすダンピングの原因になっていた。
他の研究者は、NAFTAが存在する10年前から穀物の生産量が増加している傾向が存在し、NAFTAが発行してからもトウモロコシの生産が増加し、補助金を交付されたアメリカ農家が作った輸入トウモロコシがメキシコのトウモロコシ価格に計測可能な影響を与えた形跡はなく、アメリカの農業への補助金の廃止がメキシコの農家にとって利益をもたらしたことには同意しながらも、貧しい農家の収入の減少を強いる原因であるとしてNAFTAを拒絶している。
グレアム・パーチェイス(Graham Purchase)の「無政府主義と環境の存続、Anarchism and Environmental Survival 」によると、NAFTAは「企業の利益によってメキシコ人が革命で得たエジード(Ejido、村の小作農が協力して土地を所有する形態)を破壊し、地方の人々の利益を完全に無にする脅威」の原因になりかねないという。
NAFTAに反対するサパティスタ民族解放軍のチアパス州での蜂起
詳細は「サパティスタ民族解放軍」を参照NAFTAの準備にはエミリアーノ・サパタが主導した1910年から1919年の革命の記念碑的存在だったメキシコの憲法27条の廃止が含まれていた。
歴史的な27条によって、先住民の共用地は売却や私有化から守られていた。
しかしNAFTAによって、この保証は投資する際の障壁であると定義された。
27条の廃止によって、先住民族は彼らに残された土地の喪失の脅威にさらされ、またアメリカからの安い輸入品が洪水のように押し寄せた。
こうして、サパティスタたちはNAFTAが先住民族に対する「死刑宣告」であるとみなすようになった。NAFTAが施行された1994年1月1日、サパティスタ民族解放軍はメキシコに対して宣戦を布告した。
サパティスタ民族解放軍
サイト 自動的に日本語に翻訳される
サパティスタ民族解放軍(-みんぞくかいほうぐん、Ejército Zapatista de Liberación Nacional、EZLN)は、メキシコで最も貧しい州とされるチアパス州を中心として活動するゲリラ組織である。単にサパティスタと呼ばれることも多い。サパティスタはチアパスの貧しい先住民族の農民達を主体に組織されているが、その支援者はメキシコ国内の都市部などにも幅広く存在し、またウェブサイトを介して世界的な支援を受けている。
サパティスタという名称は、メキシコ革命において農民解放運動を指揮したエミリアーノ・サパタにちなむもので(「サパタ主義(サパティスモ)」)、サパティスタ民族解放軍はこのサパタの思想を引き継いだ革命行動である。
1994年1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効日に、サパティスタ民族解放軍は、「NAFTAは貧しいチアパスの農民にとって死刑宣告に等しい」として、メキシコ南部のチアパス州ラカンドンにおいて武装蜂起した。
NAFTAによって貿易関税が消失し、アメリカ合衆国産の競争力の強いトウモロコシが流れ込むと、メキシコの農業が崩壊することや、農民のさらなる窮乏化が予測されたのである。
実際にメキシコでは、NAFTA発効後、多くの農民が自由競争に敗れて失業し、メキシコ市のスラムや北部国境のリオ・ブラーボ川を越えてアメリカ合衆国に流入した。
ラカンドンでは、木材のグローバル商業化や、石油やウランの発掘がもくろまれており、当地の先住民を一掃する大規模な強制排除計画が進みつつあった。
具体的には、白色警備隊と呼ばれるギャング組織が大規模農園主によって雇われ、暗躍し始めていた。
身に迫る脅威を前に、インディオたちはついに、500年の抑圧を経て立ち上がったのである。
これに対し、メキシコ政府は武力鎮圧で応じ、チアパス州のインディオ居住区を中心に空爆を行なったため、サパティスタ側に150人近い犠牲者が出た。
これを受けて、サパティスタ側は対話路線に転換したが、結果的にそれが奏功し、以後、メキシコ国内外から高い評価と支援を受けることになる。
サパティスタ民族解放軍は、先住民に対する構造的な差別を糾弾し、農地改革修正など政府の新自由主義政策に反対、農民の生活向上、民主化の推進を要求し、政府との交渉と中断を何度も繰り返しながらも、今日まで確実にその支持者を増やし続けている。
サパティスタ民族解放軍の実質的リーダーは、サパティスタ民族解放軍のスポークマンであり反乱軍の指揮も執るマルコス副司令官であるが、マルコスは例外的に非先住民族である。マルコスが反乱軍の指揮を執りながら司令官ではなく副司令官を名乗るのは、「真の司令官は人民である」との信念に基づく。
サパティスタ運動の方法論や主張は、従来の左翼ゲリラと一線を画しているため世界的な注目を得ている。
サパティスタ運動は、最初のポストモダン的革命運動であると言われている[要出典]が、それはサパティスタ民族解放軍がインターネットを介して大々的に自らの主張を展開し、またそれによって世界的な支援を獲得したために、もはや武力などの実力を行使せずとも隠然たる影響力をメキシコ政府に対して持つに至ったというまさにIT時代の革命運動だったからである。
たとえば、マニュエル・カステルは、サパティスタを「初の国際ゲリラ」と称している[1]。この点において、コロンビア革命軍やIRA、日本の極左暴力集団に代表される、武力や脅迫といった一般人の犠牲者をも生むテロリズムに頼る前例とは異なった革新的手法と言える。
また、サパティスタ運動はメキシコからの独立や、政権の転覆と政権の奪取を目的とする反政府運動ではなく、世界的な新自由主義グローバリゼーションがもたらす構造的な搾取と差別に対して闘うことを目的とした運動であるという意味においても従来にない左翼ゲリラであった。
※ある意味、これも一種のクラウドファンディングだと思う。
自分のプランを告知し、賛同者を募り、実現していく。
通常は、何かことをなし、実績ある者だけが信頼され、融資を受けてきた。
しかし、多くの革新的な事業は、実績のない者が発案し、苦労して実現されている。
クラウドファンディングは、まだ実現されていない夢を実現するための手法となる。
マルコス副司令官
正体不明・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考
・メキシコ麻薬戦争 ウィキペディア 2006年12月6日~現在
2006年12月11日、新しく選ばれたフェリペ・カルデロン大統領が麻薬組織による暴力をそこで終わらせるために6,500人の連邦国軍をミチョアカン州に派遣。
2003年から2009年の間に150,000のメキシコ軍兵が逃亡したと報告されている。換言すれば、毎年メキシコ軍の約1/8が逃亡している事になり[83]、これらの逃亡者は、政府から支給されたアメリカ製の自動小銃もいっしょに持ち去っている[84]。
およそ78,000人の銃のディーラーがアメリカにはいるが[99]、銃が示す窃盗と個人的な売上高は、認可されたディーラーよりも、銃犯罪に使われた銃は密売人による物の方が大きい[92]。銃の密輸業者は強要させることも知られており[100]、半自動のアサルトライフルおよび他の銃は銃ショップもしくは銃ショー (en)で購入するために市民もしくはアメリカの住民に支払われ、それからカルテルの代理人に譲渡される[77] [101] [102][103] [104] [105]。この交換はen:Straw purchaseとして知られている[106]。
・正義と尊厳ある平和のための運動 ウィキペディア
メキシコ麻薬戦争に対しての解決の方法を模索する中で生まれたメキシコ市民によるデモ運動である。
詩人ハビエル・シシリア (Javier Sicilia) (彼は息子フアン・フランシスコの命をマフィアの手によって奪われた被害者の一人である)は、2011年4月26日メキシコ市民に呼びかけて、マフィアと政府の闘争が生み出す暴力に対してデモを行った。
行進が終わった時、国内の治安の悪さに対する国民的合意の設立を宣言し、『慰めの行進』と呼ばれた新たな運動の結果、同年6月10日に、チワワ州のシウダー・フアレスにて署名された。この運動はマフィアに対してメキシコ政府が行っている対策の見直しと、オープンな対話の実現を要求した。
2011年3月28日、モレロス州の検察庁は7人の遺体の存在を確認した。その中には、詩人でジャーナリストでもあるハビエル・シシリアの息子、フアン・フランシスコ・シシリア=オルテガの遺体も確認された。
4月2日、ハビエル・シシリアは詩からの引退を宣言し、
同月26日、国民間での行進を呼びかけ、メキシコにはびこる暴力の中断を要求した。
同年5月5日には、彼を支持するグループは彼の呼びかけに応じて長距離の行進を始めた。
同年6月23日には、フェリペ・カルデロン大統領はこの訴えを受け入れ、チャプルテペック城にて平和についての対談が行われた。
サン・クリストバル・デ・ラス・カサスでは、サパティスタ民族解放軍(EZLN)のマルコス副司令官も暴力の中断に賛成し、声明文を発した。
・2014年メキシコ・イグアラ市学生集団失踪事件
アヨツィナパ師範学校は、歴史的にも常に連邦政府および地方自治体の抑圧の対象となっていた。2011年12月12日ゲレロ州の州都チルパンシンゴにおいては、抗議デモ中に師範学校の学生と連邦警察及び州警察が衝突し、学生2名が命を落とした。
国立人権委員会は、その12月12日の深刻な殺人事件に関して調査を行ったあと、勧告VG/2012を表明した。
デモに介入したゲレロ州政府の職員168人は、学生の集会をする自由の権利を侵害し、デモ隊を犯罪者に対するように扱った。
報告書では、デモに介入した警察官は武器を所持していたのに対し、参加者たちは武器を何も携帯していなかった、と詳細に述べられていた。
しかし、ホルヘ・アレクシス・ピノとガブリエル・エチェベリア=デ=ヘスースの死に関して、未だ職員への処罰は加えられていない。
2014年9月26日夜21時30分 イグアラ市警察が、3台のバスに乗って移動中のアヨツィナパ師範学校の学生らに向かって銃撃を始めた。
同年9月26日 学生達が抗議の記者会見を行っていた時、警察および見知らぬ複数の人物によって二回目の銃撃を受けたとされる。
43人の学生集団失踪事件
※ウィキペディアの記事では、43人の疾走の経緯が不明。
・メキシコ大学生43人不明事件遺体発見、市長の逮捕とその動機 2014年11月22日 NAVERまとめ より
(ポイント)
アヨツィナパ師範学校は生徒数約520人の男子校で、生徒の多くは貧しい農家の出身。ここでは農村部の小学校の教師を養成。
2014年9月26日 反汚職デモに参加した師範学校の学生43名を乗せていたバスが、地元警察に襲撃され、行方不明となる。
事件直後から地元の市町が逃亡。
同年11月5日イグアラ市長のホセ・ルイス・アバルカと妻が逮捕。
市長夫婦は麻薬組織の構成員で、市長は毎月300万ペソ(約2600万円)を組織に上納していたという。
参考
犯人は市長…メキシコの集団失踪事件がコワすぎる NAVERまとめ
メキシコ学生失踪事件、襲撃指示容疑の前市長とその妻を拘束 AFP
2015年3月22日日曜日
2015年3月21日土曜日
2015年3月20日金曜日
あさイチで面白い和食の人を見つけた
2015年3月17日8:15 NHK
「夢の3シェフ競演」きょうで終了!さて、これまでで1番の人気レシピは?
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イタリアン料理オーナーシェフ落合務さん、日本料理店店主の中嶋貞治さん、中国料理店店主の孫成順さんがレギュラーで料理を作ってきた「夢の3シェフ競演」コーナーもきょうで17日(2015年3月)で終了という。5年になり、その間に作った62のレシピの中から、視聴者から「もう1度みたいあのレシピ」を募集した。それぞれのベスト3の発表と1位の料理を再び作ってみせたが、料理もさることながら、味があったのは3人のお別れのあいさつだった。
「夢の3シェフ競演」きょうで終了!さて、これまでで1番の人気レシピは?
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イタリアン料理オーナーシェフ落合務さん、日本料理店店主の中嶋貞治さん、中国料理店店主の孫成順さんがレギュラーで料理を作ってきた「夢の3シェフ競演」コーナーもきょうで17日(2015年3月)で終了という。5年になり、その間に作った62のレシピの中から、視聴者から「もう1度みたいあのレシピ」を募集した。それぞれのベスト3の発表と1位の料理を再び作ってみせたが、料理もさることながら、味があったのは3人のお別れのあいさつだった。
2015年3月20日
事実の検証、歴史の検証を怠るとき、過ちは繰り返される。
本当かどうかよりも、どう感じるかが重要視されている。
理性よりも感情に訴え、考えることをしなくなったとき人は平気で殺し合うようになる。
なぜ? 本当か? 目的はなにか? つじつまがあっているか?
陰謀論の一言で考えることしなくなる。
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朝日新聞
「チュニジアに平和や安全が訪れることはない」「神は背教者に恐怖を与え、十字軍の国民を捕らえることに成功した」。チュニジアの博物館襲撃事件について、過激派組織「イスラム国」(IS)が19日午後(日本時間20日未明)、「犯行声明」と題する音声メッセージを出した。
ネット上には他にも、襲撃への関与をうかがわせる内容がある。
英国の国際危機評価コンサルタント大手の幹部によると、チュニジア西部の山岳地帯を拠点とする別の過激派組織の関係者とみられるアカウントも、事件を予告するようなツイートをしていた。同国のカイドセブシ大統領は、今回の実行犯が同国の過激派組織「アンサール・シャリア」とつながりがあると指摘した。
明るみに出た様々な過激派組織。チュニジアでは、それらが反政権で連携しているとされる。
チュニジアでは、2010年末からの「ジャスミン革命」でベンアリ独裁政権が崩壊。イスラム圏に広がった「アラブの春」の先駆けとなった。
世俗派とイスラム勢力が協調して新憲法を制定し、昨年末には自由選挙で大統領を選出した。「民主化のモデル」と目され、治安も比較的安定しているとみられてきた。
だが独裁政権が崩壊した後、社会の不満を吸い取るようにイスラム過激派組織が伸長していた。
シリアやイラクで勢力を広げるISなどの過激派組織に、チュニジアから約3千人が参加したとされる。AFP通信によると、そのうち約500人がすでに帰国したという。
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イラク・イスラム最高評議会の議長をつとめるハキム師がアメリカ軍に対し、テロ組織ISISに支援物資を上空から投下していることについての事情説明を求めました。
イルナー通信が、イラク・イスラム最高評議会が22日日曜に発表した声明として報じたところによりますと、ハキム師はアメリカ中央軍のオースティン司令官と、イラクの首都バグダッドで会談した際、リビア、イエメン、バーレーンの情勢を含めた地域の安全保障問題について協議したということです。
また、この声明では、オースティン司令官は、アメリカ空軍による上空からのISIS向け支援物資の投下や、アメリカ軍とISISの関係を一切否定し、「ISISを殲滅することしか考えていない」と語りました。
イラクのメディアはこの数週間、イラクの治安筋の話として数回にわたる報告を発表し、それによりますと、アメリカの戦闘機やヘリコプターが、ISISに兵器などを届けるためにISISとの紛争地域に着陸したとされています。
イラク政府軍や義勇軍は、2ヶ月前に同国西部サラーフッディーン州での衝突で、これらの出来事を撮影した映像をソーシャルネットワーク上に公開しました。
又、イラクの一部のテレビ局も、現地からのリポートによりこの問題について報じています。
この問題は、この2週間で物議を醸し、遂にイラク議会にこの問題に関する調査委員会が設置されるとともに、各政治勢力が政府に対し、この問題を真剣に追及するよう求めています。
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事実の検証、歴史の検証を怠るとき、過ちは繰り返される。
本当かどうかよりも、どう感じるかが重要視されている。
理性よりも感情に訴え、考えることをしなくなったとき人は平気で殺し合うようになる。
なぜ? 本当か? 目的はなにか? つじつまがあっているか?
陰謀論の一言で考えることしなくなる。
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「動く物全てに発砲」 チュニジア襲撃事件
朝日新聞
「チュニジアに平和や安全が訪れることはない」「神は背教者に恐怖を与え、十字軍の国民を捕らえることに成功した」。チュニジアの博物館襲撃事件について、過激派組織「イスラム国」(IS)が19日午後(日本時間20日未明)、「犯行声明」と題する音声メッセージを出した。
ネット上には他にも、襲撃への関与をうかがわせる内容がある。
英国の国際危機評価コンサルタント大手の幹部によると、チュニジア西部の山岳地帯を拠点とする別の過激派組織の関係者とみられるアカウントも、事件を予告するようなツイートをしていた。同国のカイドセブシ大統領は、今回の実行犯が同国の過激派組織「アンサール・シャリア」とつながりがあると指摘した。
明るみに出た様々な過激派組織。チュニジアでは、それらが反政権で連携しているとされる。
チュニジアでは、2010年末からの「ジャスミン革命」でベンアリ独裁政権が崩壊。イスラム圏に広がった「アラブの春」の先駆けとなった。
世俗派とイスラム勢力が協調して新憲法を制定し、昨年末には自由選挙で大統領を選出した。「民主化のモデル」と目され、治安も比較的安定しているとみられてきた。
だが独裁政権が崩壊した後、社会の不満を吸い取るようにイスラム過激派組織が伸長していた。
シリアやイラクで勢力を広げるISなどの過激派組織に、チュニジアから約3千人が参加したとされる。AFP通信によると、そのうち約500人がすでに帰国したという。
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イラクがアメリカ軍に、ISIS支援の事情説明を求める
iran Japanese Radioイラク・イスラム最高評議会の議長をつとめるハキム師がアメリカ軍に対し、テロ組織ISISに支援物資を上空から投下していることについての事情説明を求めました。
イルナー通信が、イラク・イスラム最高評議会が22日日曜に発表した声明として報じたところによりますと、ハキム師はアメリカ中央軍のオースティン司令官と、イラクの首都バグダッドで会談した際、リビア、イエメン、バーレーンの情勢を含めた地域の安全保障問題について協議したということです。
また、この声明では、オースティン司令官は、アメリカ空軍による上空からのISIS向け支援物資の投下や、アメリカ軍とISISの関係を一切否定し、「ISISを殲滅することしか考えていない」と語りました。
イラクのメディアはこの数週間、イラクの治安筋の話として数回にわたる報告を発表し、それによりますと、アメリカの戦闘機やヘリコプターが、ISISに兵器などを届けるためにISISとの紛争地域に着陸したとされています。
イラク政府軍や義勇軍は、2ヶ月前に同国西部サラーフッディーン州での衝突で、これらの出来事を撮影した映像をソーシャルネットワーク上に公開しました。
又、イラクの一部のテレビ局も、現地からのリポートによりこの問題について報じています。
この問題は、この2週間で物議を醸し、遂にイラク議会にこの問題に関する調査委員会が設置されるとともに、各政治勢力が政府に対し、この問題を真剣に追及するよう求めています。
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2015年3月18日水曜日
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プーチン大統領「核兵器準備 指示」 NHK
2015年3月17日
戦略的に重要な地域を取り返すためには住民を大量に虐殺することもいとわない。
国ってなんだろう。
人の命ってなんだろう。
殺し合わずに済む方法はなにかないか。
・兵器を作って儲かる仕組みを無くす。
・紛争を話し合いで解決するために住んでいる人が直接状況を配信する。
プーチン大統領「準備はできていた。
クリミアはロシア人が暮らしている歴史的にもロシアの領土だ。」
戦略的に重要な地域を取り返すためには住民を大量に虐殺することもいとわない。
国ってなんだろう。
人の命ってなんだろう。
殺し合わずに済む方法はなにかないか。
・兵器を作って儲かる仕組みを無くす。
・紛争を話し合いで解決するために住んでいる人が直接状況を配信する。
ロシア国営テレビの特別放送
インタビュアー「核兵器使用の準備はできていたのですか?プーチン大統領「準備はできていた。
クリミアはロシア人が暮らしている歴史的にもロシアの領土だ。」
2015年3月15日日曜日
渋谷モルモン教の教会に行ってきました
2015年3月12日木曜日
2015年3月11日水曜日
台湾まぜそば あびすけ
2015年3月10日火曜日
お知らせ 3/15 渋谷モルモン教の教会でお食事会
2015年3月15日 日曜日 12時
参加自由で無料です。
訪問するときは、大谷のfacebookを見たと言って、緒方長老(19歳)かエリック長老(20歳)を訪ねてください。
できれば参加人数を事前に知りたいので、
facebookのイベントページに未定、参加予定を教えていただけると嬉しいです。
末日聖徒イエス・キリスト教会渋谷ワードにて
11時から聖餐会、神父さんによる説教の後に食事会が開かれます。
訪問するときは、大谷のfacebookを見たと言って、緒方長老(19歳)かエリック長老(20歳)を訪ねてください。
できれば参加人数を事前に知りたいので、
facebookのイベントページに未定、参加予定を教えていただけると嬉しいです。
2015年3月8日日曜日
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