2013年2月20日水曜日

ありがとう、夢民! ダンチュウ

ありがとう、夢民! ダンチュウ


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×月××日

 高田馬場にあるカレー店「夢民」を知ったのは大学1年生の時だった。原付で明治通りを走っている時、小汚い喫茶店のような店舗から伸びる行列を見つけた。直感的にウマそうな気配がしたので、何屋かも分からないまま並んでみると、欧風でもインド風でもない不思議なカレーを出す店だった。店内は妙な緊張感に包まれていて、哲学者のような主人がひたすら鍋を振り続けている。客の注文を受けてから野菜やベーコン、海老などの具を炒め、サラサラのルウと合わせる。その際、辛さを自由に指定できるのだが、その追加料金の算出方法が(n―2)×10円と数式化されているのが面白い。初めて食べたのは、確かベーコンエッグ野菜カレーだったと記憶している。キャベツとベーコンを卵と一緒に炒め、スープのようなカレーに入れたもの。想像以上にスパイシーな味わいで、ライスの上の干しブドウの甘さが絶妙のアクセントになっていた。ただ、こんなに行列ができるほどウマいとは思わない、というのが正直な感想だった。

1975年開店。高村俊男さん、知江子さん夫婦がつくり続けた独特のカレーにハマり、あるいはここでカレーに目覚め、通い続けた客は多い。
 しかし、これを病み付きのウマさというのだろうか? 一週間も経たないうちに、また食べたくなったのだ。あの日から30年……気づけば、僕はすっかり夢民の信者になっていた。
 その夢民が2012年の暮れに閉店するという噂を小耳にはさんだ。慌てて店に電話をすると、お母さんが「そうなのよ、明日で終わりなの。来て、来て~!」と、40年近い歴史に終止符を打つ店主とはおよそ思えない明るい声で言った。一般営業は12月29日のお昼で終わるが、常連客のためだけにその夜も店を開けるという。
 翌日、最後の夢民カレーを味わうために店に行くと、すでにたくさんの常連客が押し寄せていた。10席ほどのカウンターは当然埋まっていて、店内に20人、外にも10人ほどが待っている。寒さに震えながら店の外で待っているうちに、他の常連さんたちと仲良くなった。この日のために札幌から来た人、最終の夜行バスに乗って大阪に戻る人など、日本全国から夢民信者が集まっていた。
 待ち続けることおよそ1時間、いよいよ自分の番が巡ってきた。奇しくも隣の席に座ったのは某人気雑誌のF総編集長。F氏は三十数年前、夢民の第一号アルバイトとして青春をカレー色に染めた人物。会うたびに「いつか一緒に夢民に食べに行きましょう」と約束しながらなかなか実現しなかったのだが、まさか最後の最後で隣同士になるとは何という偶然。感慨にふけりながら、ラスト夢民のメニューを考える。そして注文したのは、ベーコン野菜にトマトトッピングの5倍。あえてエッグは入れず、トマトの酸味を足し、いつもよりも少しだけ辛めにした。汗と涙が混じり合う、まさに青春の淡い思い出の味。それが、自分なりのさよならの形だった……(スミマセン! 何を書いているのか、自分でも分かりません)。

いつも変わらぬ、哲学者のような主人が黙々と鍋を振る姿も見納め。最後に頼んだのは、ベーコン野菜トマトカレーだった。
 いつものように調理するご主人の背中を見ているだけで何だか切なくなる。通い始めて20年近くは言葉を交わしたことすら無かった。笑顔で話してもらえるようになったのは、ここ10年くらいのこと。スパイスを挽くところから始まるカレー作りは、素人が想像するより遥かに大変な作業らしく、体力的に続かなくなったのだという。
 人生最後のベーコン野菜トマトカレーを口に運ぶ。もう二度と味わえないかと思うと、ひと匙すくうことすら惜しくなる。キャベツのシャキシャキした食感とベーコンの旨味が我が舌を至福の時間へと誘い、スパイスの効いたカレーソースがトマトの酸味と絶妙の相性を見せる。やはり完璧なカレーである。この味を記憶に刻もう。
 食べたものにお金を支払うという行為は、作り手への拍手に等しい。夢民への最後の拍手は940円。大好物が伝説となってしまった夜、改めて色々なことを考えた。

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