バルテュス展 東京都美術館
朝日新聞より
少女に見た「完璧な美」 来年4月にバルテュス展
【木村円】少女のいる室内画や静けさを秘めた風景画など、独特な画風で20世紀の美術史に大きな足跡を残した画家バルテュスの大回顧展「バルテュス展」(朝日新聞社など主催)が、来年4月に東京で始まる。国内では過去最大規模で、油彩40点超を含む約100点が展示される。14日に東京都美術館で発表会があり、画家本人と交流のあった美術史家・高階秀爾さんらが魅力を語った。
バルテュス(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ)は1908年、パリに生まれた。母親の恋人だった詩人リルケの後押しで絵画に傾倒し、26歳で初個展を開いた。
当時流行していたシュールレアリスムからは距離を置き、ヨーロッパの伝統絵画を引き継ぎつつ独自の表現を模索した。人物を対角線上に置くことで、緊迫感のある構図を得意とした。
時に挑発的なポーズをとる少女が代表的なモチーフで、バタイユやカミュら知識人から支持される一方、批判や誤解にもさらされてきた。バルテュス自身は、少女を「この上なく完璧な美の象徴」とし、生涯にわたり描き続けた。
国内の主な回顧展は3度目で、前回から20年ぶり。「夢見るテレーズ」(日本初公開)、「美しい日々」などの代表作をはじめ、画家の生涯を一望できる油彩40点超が出展される。パリのポンピドー・センター、ニューヨークのメトロポリタン美術館などから作品が集まり、日本初公開も多数含まれる。
バルテュスは62年の初来日時、当時大学生だった出田節子さんと出会い、後に結婚。晩年はスイスの「グラン・シャレ」に居を移し、2001年に亡くなるまで過ごした。今回は生前ほとんど人を招き入れなかったアトリエも、愛用品などを持ち出して世界で初めて再現する。
この日の発表会では、バルテュスの来日時に同行した高階さんが、「知的な関心に満ちていて、とにかく話が面白かった。ホテルのロビーが消灯しても、月明かりの下でたばこをくわえ、美術や文学の話をずっとしていた」と、思い出を語った。
回顧展の図録に論文を寄稿している広島大学大学院准教授の河本真理さん(美術史学)は、「20世紀は抽象絵画が主流だったが、バルテュスは独自の具象絵画を追究した。そこが彼を巨匠にしている」と話している。
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東京会場 2014年4月19日~6月22日、東京都美術館。
京都会場 2014年7月5日~9月7日、京都市美術館。
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出展される主な作品。
「十字架の称揚」(日本初公開)
「空中ごまで遊ぶ少女」(日本初公開)
《 キャシーの化粧 》 1933年
エミリー・ブロンテの『嵐が丘』の場面を表わしているように見えるが、バルテュスは小説の挿絵であることを否定している。キャシーのモデルは、バルテュスの苦しい恋の相手で後に最初の妻となるアントワネット・ド・ヴァトヴィル、ヒースクリフはバルテュス自身である。
《 鏡の中のアリス 》 1933年
タイトルは『鏡の国のアリス』を参照したものと思われる。片胸をはだけ、左足を椅子にかけ膝を立てて性器を見せながら、髪をとかす若い女性の体躯の強い官能性と、ほとんど白目を剝いたようなまなざしが印象的だ。バルテュスによれば、アリスの相対している鏡は鑑賞者である。
《 猫たちの王 》 1935年
ロマン主義的で誇り高いダンディとしてのバルテュスの面影を伝える自画像。黒いジャケットを羽織り、長く引き伸ばされたシルエットの王に付き従うのは、謎めいた動物の猫である。傍らには、「彼自身によって描かれた、H.M.の肖像、猫たちの王、1935年」という意味の英語が刻まれた板が立てかけられている。
《 夢見るテレーズ 》 1938年
少女と猫というバルテュスお気に入りのモティーフが登場するこの作品のモデルは、パリのクール・ド・ロアンの隣人だった失業者の娘テレーズ・ブランシャールで、最初の少女のモデルである。無垢から性の目覚めへの過渡期を表わしたとも言える作品で、少女の膝は完璧なモデリングとハイライトと陰影で描かれている。
「おやつの時間」
「美しい日々」
「地中海の猫」(日本初公開)
「決して来ない時」
「白い部屋着の少女」
「目ざめ(1)」
「樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)」
「朱色の机と日本の女」(日本初公開)
「トランプ遊びをする人々」(日本初公開)
「モンテカルヴェッロの風景(2)」(日本初公開)
1977年、ローマの館長職の任期が終わり、スイスのロシニエールに移る。居を構えた「グラン・シャレ」はかつてホテルとして使われていた建物で、スイスで最大の木造建築物。2001年に亡くなるまでを過ごすこととなる。
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Balthus 1908-2001 French (thumbnails only)
サイト
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http://balthus2014.jp/whos-balthus より
バルテュスとは?
画家バルテュス(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ)は1908年、パリに生を受けた。閏年の2月29日生まれだ。
ポーランド貴族の血を引くバルテュスの父は美術史家、母は画家で、兄に小説家・画家でサドやニーチェの研究家としても知られるピエール・クロソフスキーを持つ。幼いころから画家や詩人に囲まれ、芸術にあふれた環境で育った彼の最初の作品は、11歳の時に描いた絵本『ミツ』に遡る。
バルテュスは美術学校に通っていない。初期イタリア・ルネサンスのピエロ・デッラ・フランチェスカ、フランス古典主義のニコラ・プッサン、あるいはフランス写実主義のギュスターヴ・クールベといったヨーロッパ絵画の伝統に触れながら、百花繚乱の様相を呈した20世紀美術の流派のどれにも属することなく、独特な具象絵画の世界を築き上げていった。
1934年にパリで開かれた最初のスキャンダラスな個展以降、扇情的なポーズを取る少女というモティーフゆえに批判や誤解にもさらされたバルテュスだが、フランス文化大臣アンドレ・マルローの依頼によりローマの「アカデミー・ド・フランス」館長を務めるなど着実に地位を築いてゆき、1983年のパリのポンピドゥー・センターでの回顧展でついに国際的な名声を獲得する。
幼い頃より日本や中国といった東洋文化に親しんできたバルテュスの晩年の作品は、東西の世界の融合に向かった。1962年の初来日以降、節子夫人という伴侶を得て、殊に日本との関わりが深くなったバルテュスは、1991年に第3回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。
2001年に93歳で亡くなるまで、生涯キャンバスに向かい続けたバルテュスの作品は、今も多くの人々に愛され、日ごとそのファンを増やしている。
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