マッサン「クリスマス・プディング」と「6ペンス銀貨」
NHK連続テレビ小説「マッサン」第2回放送(9月30日)より
ニッカウヰスキー【公式】
リタの家では毎年、六ペンス銀貨と指ぬきを入れたプディングケーキを作るのが風習だったそうじゃ。独身の男女に切分けられたケーキのなかにそれぞれ銀貨と指ぬきが入っていれば、結ばれるという言い伝えがあった。その夜銀貨が政孝の、指ぬきがリタのケーキから出てきたそうな。ロマンティックじゃのう
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ブログ Whisky Concierge
ニッカウヰスキー創業者竹鶴 政孝さんとリタ夫人のお話
「琥珀色の夢を見る」から引用
1919年のクリスマスにカウン家(リタさんのお家)の恒例にしたがってクリスマス・プディングケーキが作られた。
ブランデーをたっぷり入れて半年も前から仕込んで寝かせ、クリスマス直前に蒸し上げるという手のこんだものだ。
中に6ペンス銀貨と指貫が隠されていて、もし男性のカットに銀貨があれば金持ちになるし、女性が指貫を当てれば幸運な結婚が待っているという言い伝えがある。
この年、政孝のプディングに銀貨があり、リタの皿に指貫入りのカットが当たった。独身の男女が銀貨と指貫を当てれば、二人は結婚するとも言われていたのだ。冷やかされる二人。
他の家族はそれを単なる遊びとしか思わなかったろうが、当の二人はその暗号に驚いた。それはもう運命としか思えなかったのだ。政孝が後に書いたように、「運命のとびらがひらかれた」のである。
そして後にお2人は結ばれたのです。そしてリタ夫人は政孝さんと共に、日本で生涯を過ごされたのです。
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内容紹介
9月29日から始まるNHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなった男性の物語。大正7(1918)年、24歳だった竹鶴政孝は、単身スコットランドに赴いてウイスキー作りのABCを学ぶ。
やがて「一人の頭のいい日本人青年が、1本の万年筆とノートでわが国の宝であるウイスキー作りの秘密を盗んでいった」と英国副首相に言わしめるほどまでになる。
だが帰国直後は、本場ウイスキーの味は馴染まずまったく売れなかった。
その苦労を支えたのは、スコットランドで結婚し、極東の国・日本にやってきた妻、リタだった。
サントリーの山崎蒸留所を作ったのち独立して起業するものの苦労と試行錯誤の連続だった。
しかし「よいウイスキー作りにトリックはない」という哲学のもと、
やがて北海道・余市蒸留所で造ったモルトウイスキーは、世界最高の評価を得るまでになる。
小さな酒造り工場の成功物語。
【目次】
第一章 世界最高と認められた「余市」モルト
・スコッチの本場で認められた日本のモルト
・ベスト・オブ・ザ・ベスト――世界最高級のモルト
・八十三年の時間を超えて親子が同じ場所に立つ
・父が学んだ国で息子は蒸溜所を買い取る
・グラスゴー大学に「タケツル・アワード」
第二章 初の本格ウイスキー誕生
・本物を求めるなら千里を遠しとするな。
・一本の万年筆とノートだけでも秘密は盗める
・好きになったら、好きだと言えよ。
・艱難、汝を玉にす――失意と幸運
・日本発の本格ウイスキーが生まれる
・余市にスコットランドを見た
第三章 竹鶴スピリットとは何か?世界最高のウイスキーはこうして造られる
・品質第一。開拓者聖心を忘れるな。科学者精神を忘れるな。
・麦芽も酵母も生きている。だからウイスキーは「命の水」なのだ。
・心耳を澄ませ、柔らかく焚け。そして神の手に委ねよ。
・木には人間と同じく、個性がある。それを見分けろ。
・人も酒も熟成を経て円くなる。
・熟成に方程式はない。ただ天使に任すのみ
・2×2=4ではない。異なる二つの原酒を混和すると、別次元のものが生まれる
第四章 東京進出、そして全国展開へ
・東京への進出が拡大への第一歩
・東京進出――全国区のメーカーへ
・池田勇人との深い縁
・朝日麦酒への株譲渡がもたらしたもの
・営業はお客様と家族同然になれ。
・カフェグレーンで完成した竹鶴スピリット
・納入業者を大事にしろ
第五章 遊びとダンディズム
・よく働く者はよく遊ぶ
・ゴルフの指南役には忠実に
・麻雀は大きく上がれ、きれいな手で上がれ。それが秘術屋だ。
・竹鶴政孝、幸せな最期
第六章 日本人としての竹鶴リタ
・家事のすべてに完璧主義
・日本語を勉強するより、日本料理を勉強しろ
・母として、祖母として
・この鼻を削りたい。この目と髪を黒くしたい。
第七章 繁栄と苦境の大波の中で
・鎮魂の酒・究極のウイスキー「スーパーニッカ」
・ウイスキー完全自由化に耐えて銀座ローラー作戦
・チューハイ・ブームの流れに抗して
・これこそが「情報のある商品」だ!
・予想以上のウイスキー市場縮小
・贅沢すぎて、誰も造らなかった
・ウイスキー復活のラストチャンス
第八章 「竹鶴12年ピュアモルト」の衝撃
・新戦略が打ち出され、次の挑戦が始まる
・業務用市場で勝てる新製品を至急開発せよ!
・創業者の名前を冠した商品の波紋
・聖地・余市工場を訪れると、必ずニッカ・ファンになる
終章 「マイウイスキーづくり」のドラマ
あとがき――ともに「琥珀色の夢」を
文庫版あとがき
竹鶴政孝とニッカウヰスキー関連年表
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ニッカウヰスキー ウィキペディア サイト
1934年(昭和9年)、北海道余市郡余市町に前身である「大日本果汁株式会社」が設立され、同社の略称「日果(にっか)」の片仮名書きが現在のブランド名になっている。2001年(平成13年)、筆頭株主のアサヒビール株式会社が全株式を取得して完全子会社化された。ニッカが製造する商品の販売及びマーケティングはアサヒビールが行なっている。
寿屋(サントリーホールディングスやサントリー酒類の前身)でウイスキー製造に従事していた竹鶴政孝が、よりスコットランドに近い気候の北海道で、よりよいウイスキー作りをするために退社し、資本を集めて北海道余市で創業したのが始まりである。最初期の筆頭株主は、加賀証券社長の加賀正太郎。加賀は社内では「御主人様」と呼ばれ、創業者の竹鶴は専務と呼ばれた。
サントリー ウィキペディア
サントリー(Suntory)は、大阪市に本社を置く、日本の洋酒、ビール、清涼飲料水の製造・販売等を行う企業グループの総称およびブランド。事業の主要な部分はアルコール飲料だが、1980年代以降清涼飲料においても一定の地位を築いた。
かつてはサントリー株式会社を中心とするグループであったが、2009年(平成21年)4月1日よりサントリーホールディングス株式会社(Suntory Holdings Limited )を中心とした持株会社制に移行。
証券取引所非上場企業であり、株式の約9割を創業家の資産管理会社である寿不動産が所有している。非上場の理由として「酒の醸造には時間がかかり、短期的な利益を要求される株式公開に馴染まない」、「株主に商品の味を左右されたくないから」または「直接的な利益に結びつかない文化事業のリストラを要求されるため」と言われている。佐治信忠は結果として「ビール事業が軌道に乗ったのも非公開だったから」と話している。
竹鶴政孝 - 寿屋山崎蒸溜所初代工場長。
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秩父にある「イチローズモルト 埼玉県 秩父蒸留所 羽生蒸留所」。
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