2015年1月20日火曜日

イスラーム国とはなにか?

2015年1月20日 NHKニュースより

 相撲を見ようと思ったら、黒い服を来た人とオレンジ色の服を着た人の写真が写っていた。

テロに屈せずと安倍首相が言っているが、これはテロなのか?

戦争ではないのか?




YouTubeで、イスラーム国が「2人をかいほうするため計2億ドル支払うよう要求」





「日本の総理大臣へ

日本はイスラム国から8500キロ以上も離れたところにあるが、

イスラム国に対する十字軍にすすんで参加した。

我々の女性と子供を殺害しイスラム教徒の家を破壊するために1億ドル以上の支援を拠出した。

だからこの日本人の男の解放には1億ドルかかる。

それからイスラム国の拡大を防ごうとさらに1億ドルを支援した。

だからこの別の男の解放にはさらに1億ドルかかる。

日本国民へ日本政府はイスラム国に対抗するため愚かな決断をした。

2人の命を救うため政府に2億ドルを払う決断させるため圧力かける時間は72時間。

さもなければこのナイフが悪夢になる。」


湯川遥菜さん 2014年8月イスラム国に拘束されYouTubeにアップされた。

湯川さんの会社の顧問 木本信漢さんのインタビュー

 情報を聞いてどう思った?
「来る時が来た。いつかこういうことがあるだろうと思っていた。」


後藤健二さん フリージャーナリスト

 2014年8月、湯川さんから民間軍事会社のビジネスをどう進めればいいか相談を受けたことを明かす。

 2014年10月2日 twitterで「シリアに取材に入ります」
 翌日「ただいまシリアで取材中です」と書き込む。
 10月23日以降書き込みが更新されず。



※イスラーム国はスンニ派と聞くが、他のスンニ派の国、スンニ派の宗教の責任者はどのような対応をするのだろうか。

またスンニ派の人たちと日本政府はどんな話をするのだろうか?

関係国と連携してということは、直接、スンニ派とは話し合いをしないのかもしれない。



イスラーム国

イスラム教スンニ派




ウィキペディア

 イスラーム国とは、イラクとシリアで活動するサラフィー・ジハード主義組織である。2014年6月29日、カリフ制イスラーム国家の樹立を宣言し、アラビア語: الدولة الاسلامية في العراق والشام‎(翻字: Dawlat al-ʾIslāmiyya fi al-'Iraq wa-l-Sham、「イラクとシャームのイスラーム国」という意味、略称: داعش(ダーイシュ))から改称した。
AFPの記事によると、2014年6月29日、イスラーム国家の樹立を宣言し、組織名ISIS/ISILの名を廃止し、「Islamic State イスラーム国」 を国名として採用すると宣言した。


 国家の樹立を宣言したが、(秘密協定によって国境線を引いてオスマン帝国を分断した側の)欧米諸国や、(引かれた国境線によって成り立っている)イラク、シリアなどの政府が認めていないのはある意味で当然のこと、さらに、周辺のシーア派・スンニ派イスラム教諸国などからも国家としては承認されておらず、あくまでもテロ組織に過ぎないというのが国際社会の共通認識である。

 日本も今のところ国家とは認定していない。

ただし、「イスラーム国」はラッカが首都だと宣言しており、ラッカでは一般市民に税金を納めさせており、次第に国家としての体裁を整えつつある[7]。また防衛省・保健省・電力省などの省庁を置き、各省庁には閣僚もおり、治安組織(警察組織)も持っており、パトロールカーも巡回させている。また、支配地域の住民のために、独自のパスポートも発行しているという。


ラッカ:シリア(シリア・アラブ共和国)北部の都市





2014年11月27日のニュース AFP

シリア軍がイスラム国「首都」空爆、95人死亡 過半数が民間人


「シリア政府軍による空爆を受けたシリアのラッカで燃える炎(2014年11月25日撮影 AFP/RMC)」

【11月26日 AFP】(一部更新)非政府組織(NGO)「シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)」によると、シリア政府軍は25日、イスラム教スンニ派(Sunni)の過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」が首都と呼んでいる同国北部ラッカ(Raqa)に対する一連の空爆を行い、少なくとも95人が死亡した。うち半数以上が民間人だったという。

 昨年イスラム国がラッカを掌握して以来バッシャール・アサド(Bashar al-Assad)政権の空軍が行った空爆の中でも、最多の死者数となった。

 シリア人権監視団によると、死者のうち少なくとも52人が民間人だったが、残りが過激派戦闘員であるか、同じく民間人であるかは不明。ラミ・アブドル・ラーマン(Rami Abdel Rahman)代表は「空爆の一部はイスラム国の拠点近くで実施された」と述べている。

 英国に拠点を置くシリア人権監視団は、シリア国内のネットワークから得られる情報をまとめている。同監視団は先に、空爆による死者を63人と発表していた。アブドル・ラーマン代表によれば、ラッカの主要産業地区に対し2度の連続した空爆があり、「最初の空爆の負傷者を助けようと住民らが集まった時に2度目の空爆が行われた」という。

 ラッカ入りしている人権活動家らは、シリア政府軍による空爆を「殺りく行為」と糾弾している。

 アサド政府軍は長い間、ラッカを標的とした攻撃はごくまれにしか行っていなかった。しかし今年の夏の後半からシリアの北部と東部にあるイスラム国の拠点に対する空爆を強化。シリア人権監視団の話では、今年9月6日のラッカへの空爆で53人が死亡し、うち少なくとも31人は民間人だったという。

 イラクとシリアでイスラム国に対する空爆を実施している米国主導の有志国はラッカにも空爆を行っている。しかし現地の活動家らによると、犠牲者の多くが一般市民という理由で、住民らは有志国連合よりもシリア政府軍の空爆の方をはるかに恐れているという。(c)AFP


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シリア


イスラム教アラウィー派



・2011年 - シリア騒乱発生(1月26日)、継続中。

 シリア政府側は騒乱開始以来、これはあくまで対テロ戦争であり、内戦ではないとの認識を示している。

 2012年6月になってバッシャール・アル=アサド大統領が公の場で「真の戦争状態にある」と発言している[21]。

 アル=アサド大統領は、2013年9月には「現在シリアで起きているのは、内戦ではなく戦争であり、新しい種類の戦争だ」としており、シリアは「テロの犠牲者」と語っている。また、反体制派の8割から9割はアルカイダとも主張している[22]。


 ウィキペディア 「自由シリア軍」より

2011年に始まったシリア国内の争乱の過程で、同年7月にリヤード・アル=アスアド大佐が率いる政府軍の一部が離反し自由シリア軍を結成。

自由シリア軍は、アメリカ合衆国やトルコ、サウジアラビア、カタールなどから支持を受けている。

しかし、イスラエルの友好国たるアメリカ合衆国から支持を受けているという事実は、多数のシリア国民が自由シリア軍を支持しない理由の一つとなっている[6]。

他に、トルコより支援を受けており、戦闘員2000人ほどがトルコで訓練を受けることとなっている。トルコは、シリアで活動しているクルド人勢力に刺激を受けることで、自国内のクルド人の独立運動が活発になるのを警戒しており、クルド人の活躍を目立たなくさせるために自由シリア軍を支援している[7]。


2013年9月に協力体制にあったはずの自由シリア軍に攻撃を仕掛けるなど、アサド政権、反政府勢力の双方と敵対して、シリア国内は三つ巴の戦いになりつつある[14]。


アルカーイダと協力関係にある武装集団「イラクとシャームのイスラーム国」は、2013年5月に出されたアイマン・ザワーヒリーの解散命令を無視してシリアでの活動を続けているなど、アルカーイダやアル=ヌスラ戦線との不和が表面化している[23]。

他にも、クルド人などのシリア国内の少数民族も武装化して、政府軍やアルカーイダの武装集団を襲撃して事実上の自治を行っており[24]、さらにイラクのクルド人自治区のような正式な自治区を作ろうとしている[25]。

2014年に入り、イラクとシャームのイスラーム国(ISIL)と、シリア反政府勢力との間で戦闘が激化している。当初、ISILは、シリア反政府勢力から歓迎されていたが、ISILが他の反体制派組織を支配下に置こうとして内紛が起きた。

さらには、ISILが一般市民も巻き込んで暴力をふるうようになり、関係は悪化している。反体制派の主要組織である「国民連合」は、ISILとの戦闘を全面的に支持している[40]。




  シリア政府(アサド政権)の制御下
  クルド人勢力の制御下
  イスラーム国(ISIS)の制御下
  紛争地帯(各勢力における戦闘の最前線)
  その他の反政府勢力の制御下



ハマー虐殺 ウィキペディア

1982年2月にハーフィズ・アル=アサド大統領の命令によりシリア軍がハマーの街で実行した焦土作戦。

ムスリム同胞団をはじめとしたスンニ派イスラム主義者集団が行った1976年に始まる組織的運動は、1982年のハマー虐殺により事実上終わりを迎えた。

 ムスリム同胞団 ウィキペディアより

 20世紀前半のエジプトで生まれ、長い間、非合法組織として政権に抑圧された歴史を持ち[2]、中東地域に広がるスンナ派の代表的な社会運動・宗教運動組織である。
世俗法ではなく、イスラーム法(シャリーア)によって統治されるイスラム国家の確立を目標としている。2010年以降の最高監督者はムハンマド・バディーウ。

2011年エジプト革命でも急進的な主張や行動は行っていない。なおパレスティナでイスラエルへの抵抗運動を続けているハマースの母体もムスリム同胞団である。

中東諸国においては、政治における民主化を要求するムスリム同胞団は、非民主的な政治運営を進めてきた政権側にとって好ましい存在ではなく、それゆえ各国の政権はムスリム同胞団に対し、団員の逮捕や資産凍結などの抑圧的な姿勢を採ってきた[2]。そのため、研究者がムスリム同胞団に関する調査を進めることには困難さがともない、イスラム社会で果たしてきた同胞団の重要性に対し、その研究蓄積は必ずしも豊富なものとはいえない状況にある[注釈 1]

横田貴之 『現代エジプトにおけるイスラームと大衆運動』 ナカニシヤ出版、2006年12月
 p32横田貴之は、エジプトのムスリム同胞団の調査中、常に秘密警察の影に怯えていたことを告白している。


2005年11月の人民議会選挙の選挙綱領は、序文と「復興・開発・改革」の3部構成で、それぞれ以下を掲げた[17]。
序文 - 「イスラーム的権威」と「民主主義的メカニズム」を掲げ、議会や選挙などの民主主義の制度を堅持しつつ、シャリーア施行を目指す
復興 - 基本的な自由と権利、生活水準の向上、女性の権利向上など
開発 - 均衡のとれた発展、国内資源活用による自給能力向上、アラブ・イスラーム諸国との発展的統合など
改革 - シャリーアの原則に反しない形での三権分立、議会制民主主義、平和的な政権交代、非常事態宣言の停止、民主化などの37項目の改革案
ムスリム同胞団の2007年の政策綱領案では、「キリスト教徒や女性は大統領や首相になれない」との文言が存在し、問題となった。2010年にはこの表現を削除して、より穏健な公約集を発表した[18]。

・2011年2月、アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマは、ムスリム同胞団を「反米思想」と表現した。

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イラク

通称イラクは、中東・西アジアの連邦共和制国家である。首都はバグダード(バグダッド)で、サウジアラビア、クウェート、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと隣接する。古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり、世界で3番目の原油埋蔵国である。


1945年12月、ムッラー・ムスタファ・バルザーニーがソ連占領下の北西部マハーバードでクルド人独立を求めて蜂起し、翌年クルディスタン共和国を樹立したが、イラン軍の侵攻にあい崩壊。

バルザーニーはソ連に亡命し、1946年8月16日にクルディスタン民主党結成。

マハーバード・クルディスタン共和国は、パフラヴィー朝イラン領内のクルディスタン地域に1946年に短期間存在したソ連傀儡政権によるクルド人国家。大統領はカズィー・ムハンメド。
1947年3月31日、カズィー・ムハンメドがマハーバードのChwar Chiraで絞首刑となる。

1958年にはエジプトとシリアによって結成されたアラブ連合共和国に対抗して、同じハーシム家が統治するヨルダンとアラブ連邦を結成した。

1973年10月、第四次中東戦争。 第一次クルド・イラク戦争後の和平交渉が決裂し、バルザーニーが再び蜂起して第二次クルド・イラク戦争が勃発。

1979年7月16日にサッダーム・フセインが大統領に就任。


イラク戦争の年表 


 ウィキペディアより

1990年クウェート侵攻後、1991年1月17日の「砂漠の嵐作戦」(operation desert storm)で湾岸戦争に突入し、フセイン政権は敗北した。

2001年9月11日 - アメリカ同時多発テロ事件で約3000人が死亡

2001年9月16日 - 国家哀悼日に、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領が「この十字軍、テロとの戦争は時間がかかるでしょう(This crusade, this war on terrorism is going to take a while.)」と発言。

2001年10月7日 - テロの報復としてアメリカ合衆国がアフガニスタンを攻撃(対テロ戦争、アフガニスタン戦争)。

2002年1月29日 - ブッシュ大統領が一般教書演説でイラクを非難する悪の枢軸発言を行う。

2002年8月26日 - リチャード・チェイニー米国副大統領は「イラクの核脅威は、予防的攻撃の正当性を証明している」と発言。



2002年9月24日 - イギリスの下院において、トニー・ブレア首相は「イラクは、化学兵器と生物兵器を保有している。イラクのミサイルは45分間で展開できる」と断言した。

2002年11月 - 国連決議1441により、イラクが4年ぶりに国連の査察を受け入れ、同決議の第3項が定めるところに従い、武器申告書を査察団に提出。

2003年2月5日 - イラクが大量破壊兵器を隠し持っていることを示す証拠をアメリカ側が安保理にて提示(パウエル報告)。

2003年12月13日の赤い夜明け作戦でサッダーム・フセインがダウルで拘束された。

後に、イギリス諜報機関から入手したこの情報は嘘であったことが判明した。

後に、その全てがCIAの誤情報による虚偽であり間違っていることが判明した。



2004年6月28日、暫定政権に主権が移譲。

2006年4月22日にシーア派政党連合の統一イラク同盟がヌーリー・アル=マーリキーを首相に選出。

2006年12月30日、サッダーム・フセインの死刑執行。

2010年3月7日に第2回議会選挙。アッラーウィーの世俗会派イラク国民運動が第1党(91議席)となり、マーリキー首相の法治国家連合は第2党となった(89議席)。

2010年12月に第二次マーリキー政権。

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クルド



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イスラム教スンニ派


ウィキペディア 「スンナ派」より

イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつ。報道などで一般的にスンニ派と呼ばれる。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。また、多数派である事や歴史的な事情などから「正統派」などと言われる。しかし、スンナ派を正統とするのは、あくまでスンナ派の内側から見た場合の理解である。

「スンナに従う人」を意味する「スンニー( سني Sunnī)」の語からスンニ派とも呼ばれる。

「預言者ムハンマドの時代から積み重ねられた『慣行』(スンナ)および正統なる『(イスラーム)共同体』(al-Jamā‘a ジャマーア)に従う・護持する人々」というほどの意味。

イスラームという宗教が生まれて間もない初期のころ(正統カリフ時代)に、預言者の後継者(ハリーファ(カリフ))を誰にするかという問題において、ムハンマドの従兄弟かつ娘婿であるアリーとその子孫のみがイマームとして後継者の権利を持つと主張したシーア・アリー(「アリーの党派」の意。後に略されて「シーア」、すなわちシーア派となる)に対し、アブー・バクル、ウマル、ウスマーンのアリーに先立つ三人のカリフをも正統カリフとして認めた大多数のムスリム(イスラーム教徒)がスンナ派の起源である。


イスラム教宗派の分布図
黄緑:スンナ派
緑:シーア派

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リンク

・イラク情勢、イスラム国、どうしてこうなったか分かりやすいまとめ NAVERまとめ



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